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代表・吉成のときどき日記スタート!

森と風のがっこうの代表・吉成信夫の日々の思いやできごとを、“ときどき”アップしていきます。みなさま、どうぞよろしくお願いします!
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吉本哲郎さん、地元学。

水俣の吉本哲郎さんを初めて森風に招いて、本当に久しぶりに、地元学フィールドワークをやった。
百合さんは初めて会う吉本さんに、「ああ、何か70年代の匂いがするわー」とストレートなご挨拶。確かに、吉本さんのようなひとは昔、周囲にいたよなと私も思った(今、いないなあ)。そこに居るだけで強烈な空気感が漂っている。煙草はずっと手から離れないし。冗談でなごませておいて、ぽそぽそっとささやくように、本当に大事なことを、速射攻撃する絶妙なタイミングの良さ‥。これは効く。極度の照れ屋でもある(と私は見ている)。

吉本さんと初めて出会ったのは、もう10年ほど前のこと。あやしい面々のたむろする陸前高田の風工房で、だ。私は当時、公共事業の抜本的やり直しとなるミュージアム建設事業を担当していてそれこそ、明日が見えずに呻吟していた。その時初めて会う私に彼はこんなことを言った。よそ者がまちづくりの先頭に立つのは、ロープの上を綱渡りするのといっしょだ。常に先を示すことができなければ飽きられ捨てられる。道化師みたいなもんだ。というようなことを私の目を見て予言するみたいに言ったような気がする。(この時のことは彼は憶えていないらしい)
たぶん、私がロープから落ちそうであぶなっかしかったからなのかも。
それから、もうひと言。吉成、いつも、ユーモアを忘れるなよ、と。彼の言葉で、私は自分の中にあるものと出会ったから忘れていないということなのかもしれない。

あれから10年。私の胸に刻まれた言葉たちである。
地元学は、ノウハウややり方がどうかは実はどうでもいい気がする。

今回、彼流の地元学を目の当たりにしてこんなことを思い出した。地元学はまったく古くない。ちょっと触れてみただけでわかった気になることを戒めたいと思う。岩手でブームになり、そして無くなってしまった地元学が、また始まる。始めるんだと思った。ここ、葛巻から。

新しい森と風のがっこうの始まりでもある。

おとといの夜、PTA講演会で盛岡市内の小学校に伺いました。

おとといの夜、PTA講演会で盛岡市内の小学校に伺いました。会場に着くと、うしろからおんちゃーんという子どもの呼ぶ声が。最前列に見覚えのある子どもたちがにこにこしながら座ってました。この夏、自然エネルギースクールで10日間、苦楽を共にした子たちでした。もうそれからはタイヘン。用意した大人向けの内容を全部やめて、じゃあアイスブレークゲーム、みんなでやろうとの私の合図で、おとなもこどもも入り乱れてジャンケン大会開始。子どもたちの突然の登場で、予定調和しない、楽しい講演会になりました。
最後に、子どもたちひとりひとりが私に謝辞の言葉を述べる段取りだったのですが、誰も用意した作文を見ずに自分なりの言葉を探して沢山のおとなの前で披露してくれたのが、私にはなにより嬉しかったなあ。(そう、それでこそ森風流だね。)
また会えてよかった。校長先生をはじめ、父母の方々もやさしい雰囲気で、来てよかったと思える夜でした。

懐かしいひととの遭遇

先日、懐かしいひとと遭遇した。

講演の前に盛岡駅前のカフェに立ち寄った時のこと。ふと見上げた目と鼻の先に、田中優さんが立っていたのだ。これから宮古市まで講演会に呼ばれて行くのだという。向こうもあれっという感じ。ええっ?と思わず感嘆の言葉が私の口をついて出た。

15年ぶり位になるのだろうか。東京にまだいた頃、環境NGOの立ち上げにいっしょに関わった時のメンバーなのだ。彼は当時、「どうして郵貯はいけないの」という本を鋭く世に問い(私は今もすごい本だと思っている)、エネルギッシュな運動を繰り広げていた。その後、未来バンク事業組合、ap bank、天然住宅と次々と社会起業家的な動きを日本中に広げているのでご存じの方も多いはずだ。

何かうれしかったなあ。私は岩手の山奥でひそかに活動を続けて来ただけだけだが、志のありかが変わらないことを確認できたことが何よりうれしかった。
当時、NGOの代表だった岩崎駿介さんは、今どうしているだろう。そんなことを語り合った。昔はよかったというのではなくて、いつか、前向きな、これからどう生きる、社会とどう関わる、といったテーマで、NGO同窓会をやってみたいものだ。

年明けの決意

 森風のこと、学校ではないがっこうのこと、私がどうしても言葉にしたいことを伝えるために、今年は言葉として寄稿してきた文章の整理をし始めた。

 その原稿の山の中から出てきたのがこの文章です。ユニバーサルデザインの実践家として、大活躍されている関根千佳さんの近未来小説「スローなユビキタスライフ」(地湧社)の装丁帯のコピー文に一部を採用していただいたので、私としては少し恥ずかしい気もするのだけれど。
  地域、田舎のこれからの問題を取り上げて、実によくこれからの社会の可能性を描いた小説です。
 どなたにも一読をお薦めします。


 宮沢賢治は、森からの贈与をたしかに受け取っていたひとだ。北岩手の山里に移住してから、自然と深くふれる中で、突然、なにかを贈与されたとしか思えない瞬間がこれまでに幾度もあった。言葉にできない大事ななにか。そのひとつが、私の場合、虹だった。登場する人物の孝志のように、もうどうしようもなくまちから逃れようと車を走らせたことがある。突然、見たこともない巨大な虹が雨上がりの田んぼの真ん中ににょっきり現れた。あんなに太い虹の付け根を見たのも初めてだった。なぜか、私を祝福してくれているのだと心底思えた。こんなに苦しい時にこの虹は私のために出てくれたのだ、と。誰も私を理解してくれなくても、そうやって岩手の自然はシグナルをおくってくれているのだと、初めて本当に思えた。
 この作品を読んで、何度も心が震えた。ひとは独りでは生きられないこと。自然は厳しいからやさしいのだということ。言葉にならない声、呻き、哄笑、怒り、失望、だれの胸の内にもある、からだを深く衝き動かすもの。土に根ざすことの安心感。
ひとがあってこそのIT技術とはよく言われる話だ。でも作者は、見えないものを探り、まちの重層的な時間の記憶を可視化し、ひとをつなぐ道具としてのルイカを紡ぎ出した。都市を脳にたとえるならば、地域は無意識の集合する身体、ともいえるだろう。無意識の記憶の海の底から、豊かな地下水に似たなにかを汲み出すのだ。未来は、あたたかく、どこかなつかしいものであってほしい。そう語りかけてくる。映画ブレードランナーが描き出した硫酸の雨降る近未来都市では、断じてないはずだ。
 土に根ざすこと、過去の先人の生の営みも含めたひととともに生きること、つまり根っこをもつことの安心感を私たちは求めている。しかしそれだけでは足りない。ただ、縄文の昔に回帰することなどできないからである。根をもちながら、翼を持つことが同時に成り立つようなよいバランスを創りださなければならないのだ。翼とは、ルイカのような、境目を軽々と越境できる道具と言い換えることも可能なのかもしれない。

贈与を受けた喜びを知るものは、また新たな贈与を繰り返す。

吉成 信夫



エコセンで講演しました

日本エコツーリズムセンター(通称エコセン)の招きで、シンポの基調講演をさせていただいて来ました。満員御礼の会場には、懐かしい面々のお顔があちこちに。ほとんど同窓会のようなノリで、歓声を上げるハイな私が居りました。東京を離れて岩手に漂着13年目だから当たり前ですね。
森風の話にずいぶん興味を抱いてくれた若者たちがいてくれたのが一番の収穫でした。地平線会議の江本さんからはとても強い刺激を受けました。好きだからやってるのよモード全開で、自由闊達なご活動は、そうなんだよなあとうなづくばかり。恐れ多いですが、森風もまったくおんなじ路線ですから。
社会勉強を兼ねて同行した娘は、もうすっかり江本さんファンになってしまったみたいです。フリーライターの鹿熊さん、農工大の福井さんとの楽屋話も花が咲きました。みんな共通していたのは、そこにあるものを活かす工夫を見ていることだったと思います。吉本さんは水俣でくしゃみをしていたんじゃないかなー。
私を東京に引き出してくれたエコセンのボス、広瀬さんには感謝です。

まぼろしの原稿

☆実は連載しているエッセイのために書いたまぼろし原稿です。今回は子どもの森のことをお伝えしたいと思います。

おしごとと人生

自分のやりたいことって何なんだろう。自分には特別な才能はないし、将来どうなるんだろう。こんな漠とした不安や悩みを抱えている子どもは今もいるはずだ。私自身、十代の多感な時期、そういう焦りにも似た気持ちに浮足立っていたことを憶えている。

「いわて子ども特派員」(6年前から始めた子どもの森の事業)に全県から応募してきてくれた三十数名の小中学生たちと、今年も2回のミーティングを行った。今回のテーマは、おしごとと人生。単におしごとのお勉強をしましょうという堅苦しいものではなく、自分の大好きなことをおしごとにしていいんだというように、おしごとを肯定的なものとして捉えてもらうための機会として設定したものだ。
 ひとは何のために働くのか。この難解な問いに対して、私も含めておとなはどう受けて立つのか。そんな切実で緊張したテーマを子どももおとなも自分のものとして直接対峙して語り合い、自分に向き合うことをやりたかったのだ。

 第1回目のミーティングでは、奥中山地区で働くおとなのひとを、グループに別れて徹底的に突撃インタビューした。事前に質問項目を決めておいてそのまま読み上げるようなことはしない。その場で、そのひとの人生の経緯を聴きながら、おしごととの出会い、苦しみを抜けた中から湧き上がる喜びを聴き取る作業をした。少年時代にいじめを受けていたけれど、腕一本で美容士コンテスト全国一にまで上り詰めた方の話や、障害を持つ人々が働けるパン工場をこの地にゼロから作り上げた方、周囲の反対を押し切ってコミュニティカフェを始めた方など、実に様々な人生の変転があるのだということを体感したと思う。話に詰まると、話題を変えて、結婚を決めたのはどちらからだったんですか、その時の決めセリフは?と、敬意を払いながらも次々出てくる質問に、受け手のおとなも真剣に応えてくれていたのが私は傍で聞いていてうれしかった。
 圧感だったのはここから30分のラジオ番組が生まれるまでの過程だ。二人の方のおしごと人生のエッセンスを捉えて、対話編というスタイルであたかもここで語り合うかのようなストーリー番組をくみ上げたグループがあったり、それぞれの子どもの内に自由に創造する力があることに気付かされた。本番の放送を終えて、晴れ晴れとした表情を見せる子どもたちの前で、私は不覚にも言葉が震えて涙が溢れ出してしまった。おとなの人生の重さ、真剣さに、どこか何かが感応しているのだろうか。そういうアンテナを子どもたちが持っているんだということをあらためて教えられたような気がする。先日開催した第2回の集まりでも、それぞれの特派員の子どもたちは身の回りのおとなのおしごとを自分ひとりで聴き取りをびっしりとメモに書いて持ってきた。
 そして最後のセッションでのこと。私はどうしても言っておきたいことを話した。それは、それぞれの子どものいま大好きなことがしごとになればいいなあということだ。でも、さらに言えば、好きなことをやるということと、好きなことをしごとにすることとは違うということについても。好きなことだけなら趣味でいい。「しごとにする」っていうことは、相手がいて、相手に利益(価値とあえて言いたい)を与えること。相手に認めさせてなんぼの世界だっていうこと。だから、コミュニケーションなしに、しごとはできないと話した。
 もうひとつは、才能のこと。自分は才能がないんじゃないかと思っている子、いるよね。でも、才能って、絵がうまいとか、スポーツができるとか、具体的なものだけとは限らないからな。先生だって、親だって、時々見誤るんだ。おんちゃんは社会で働いてきて、努力することができるひとや、場の空気を一瞬で読めるひとや、(ずるいくらい)要領がいいひとも見てきたんだ。そのひとの性格や気質もまた、才能のひとつなんだよ。確かそのようなことを言った。これは今の私の実感だ。そんなこと、子どもの頃には思いもしなかった。だから、言っておきたいと思った。ちょっぴりでもいい。そんなに得意ではないけれど絵が好き。漫画読んでるのが楽しい。そんな自分のできることを見つけて大切にしてほしい。小さなことを集めていくことが、きっと大きな大河のような大好きにつながると私は思うのだ。子どもに語ったことは、子どもの頃の私に語っている言葉でもある。

「悩む才能」と作家の高橋和己は語っている。だから君が思い悩むことも才能のひとつだと僕は思うという言葉を葉書に書いて送ってくれた友達が昔、いた。その時、どれだけ私の凝り固まった心をほぐしてくれたかわらない。だから私も、子どもたちに自分の体験の中から出てきた言葉を届けたいと思う。これは教科書では絶対に教われないことだと思うからだ。

こどものまちを終えて

今年のスプリングスクールの最後は、まちづくり。子どもたちが自分自身で自由に発想した「みらいのまち」を立体化するというもの。
最終日の朝、私が子どもたちに話したのは2つのこと。
1.まちはひとが集まって創るのだから、ひとを入れてほしい。マンガの吹き出しみたいに、セリフも入れちゃうといいなあ。
2.施設と施設が関係なくあるだけじゃあなくて、何か関連付けてみられるか考えてみて。

子どもたちはいきいきと、遊ぶようにまなびあってくれた。まち全体のタイトルみたいだけれど、ある女の子は、「ひととひととの関係が深くなるまち」というコンセプトを考え出してくれた。これにはもう、絶句。脱帽。何も言うことはない。わかってんじゃんって思った。

学校はお昼でおわり。午前中は、裏の「はたけ山」(これは子どもの付けた名前。山が全部畑になってる)で体験授業という説明。
それじゃあ、学校の校舎は、朝礼と終わりの会のときと雨天時だけなんだー。なんと画期的な!!
初日の講義(と言っても寝ころびながら聞く子も多数あり。リラックスした姿勢ですごい集中力で聞いていた)で話した、ドイツの小学校は昼で終わるという話が効いたのかどうか。
最終日前夜から、どの子ももの凄い勢いでまちづくりに熱中した。翌朝も、起きるとそのまま自主作業に精を出す子も。

やりたいことをやるときの子どもたちの意欲は、いつも思うのだけれど本当にすごい。
自然エネルギーは生活を豊かにするツールだから、ほかのツールと併せて考えるとより効果的なんだよな、とあらためて子どもたちの創造性あふれる立体模型を見て思った。

今回のスクールの締めくくりに私が話したのは「選択」というお話。多様な選択が可能な社会が一番いいなあという私の実感。風力電車に乗るか、原子力電車に乗るか。はたまた太陽光ハンバーガーを食べるか、火力ハンバーガーを食べるか。選択肢があって自分が選べる社会を創りたい(スウェーデンでそんな話を聞いたことがあることを思い出した)。

安比の廃校でTV収録した時のこと

先日、廃校を利用したバリアフリーの宿希望の丘で、50年間にわたる岩手の学校教育に関わる番組を振り返る番組の収録にゲストで招かれました。岩泉の小学校に1か月だけ京都から赴任した先生と生徒の交流を描いた「ぼんぼん先生」には、私も大塚アナももうぼろ泣きしました。なんであんなに深い絆が見えないのに確かにあると感じられるんだろう。野外でみんなで歌を唄う場面、バスで去る先生との別れの場面。岩手の教育が何を失ってしまったか、それはもう明白だと思いました。先生の資質で必要なものはハッキリしているはずなのに、なぜ大学も県教委もずれていくのだろう。
(学力が全国最下位レベルだっていいじゃあないか。だけど岩手の子たちのピュアなハートはどこにも負けないぞ!って私は言いたい)
今と昔は同じじゃあないけれど、連綿と継続しているいいものもある。

教師を目指す学生、そして現場で呻吟している先生には絶対見てほしいなあ。

他にも幾つも秀作のダイジェストが入ります。「北上川のかっぱたち」もいいです…。
乞うご期待。

4月26日(日)IBC岩手放送
IBC特集「岩手の映像史」午後1:00~1:54 お見逃しなく。

それから学校の宿希望の丘の事務局長平櫛さんも超ユニークな方で、話が尽きないまま帰ってきました。もう一度行かねば。

サマータイムブルース

久しぶりに、日曜日、森風に一日ずっといることができた。いつも、休みの日でも講演やワークショップなどで出かけることが多いので、本当に久しぶりのこと。子どもたちとエコキャビンスクールをやるので、せめて一日は付き合いたいと思ったからなのだが。
朝から、集落の奉仕活動で集落の方々が集まって来てくれて、がっこうのぼさぼさに枝が伸び放題の生け垣をチェーンソーであっという間に刈り込んでくれた。私もあわてて刈られた枝や草を集めて手伝った。あの葉っぱは山菜だから刈らないで残して置くね、と教わったり。集落の方々がいつまでもやはり自分たちの集落の学校だという意識をどこかで持っていてくれていることが改めてわかって、私はうれしかった。(学校はいつまでも大事な場所なんだな)
カフェも昼過ぎにはにぎわいをみせて、気分転換にお客さんで来てくれたYちゃんもにわかスタッフになってもらい、ようやく回るほどの大忙しだった。私もにわかウエイターとなって、なんちゃってマスター気分。こうやって一日が珈琲の香りとともに過ぎて行く感じが、心地よいなあと思った。

スクールの子どもたちと校庭に椅子とテーブルを出してお昼ご飯。柔らかな日差しの中で、ダッチオーブンでつくったホットケーキがいい具合に膨らんで美味しそう。思わず子どももスタッフも入り乱れてじゃんけん大会に。
BGMは、RCサクセションのカバーズから、サマータイムブルース。これはレコド会社が発売中止にしたいわくつきの曲。なぜか、今ここでランチを取りながら子どもたちと聞きたいと思った。今はなき清志郎の歌声が、四方の森と青空の中でこだまする。そこに子どもたちの不思議そうな眼差しが。リズムを思わず取り出す私と講師の武内さん。うーん、なんかいいなあ。こんな山深いところで、子どもたちと共有しているのが、清志郎だなんて。涙が出るぜ。まったく。デザートは、手回し発電わたあめ。あらあら、もう子どもたちは綿アメにみんな夢中…。後略。

今はもう夕暮れどき。まるまると肥えた雀が窓の外で騒がしく鳴いている声が聞こえる。子どもたちのいない校庭は、どこか寂しげな静寂をたたえているようだ。

僕たちの好きだった革命

昨夜、もりおか劇場で見た。鴻上尚史はいつもSPAでコラムを読
んでいるし、私のデスクの脇には、今も朝日新聞に彼が書いた「いじめ
られている君へ」が貼ったままだ。これは今日本中でいじめを受けてい
る子どもたちに向けた、甘さのない最も的確なメッセージだと思うから
だ。戦闘的に、したたかに、しぶとく生き抜くことを、子どもに語る文
章は、本当に秀逸だと思う。

自称鴻上シンパの私の劇への感想は、近来まれに見る駄作としか言いよ
うがないものだった。
役者の動きにも台詞にも、まるで切実さが感じられない。昔、高田馬場
の小さな芝居小屋で観た、つかこうへいの「初級革命講座飛龍伝」と比
べてしまう。あふれるような肉体の叫びやどろどろの情念も、狂騒も、
鬱屈も、なーんにもない。舞台に立ってるひとがひとにすら見えない。
カスカスの力ない台詞群は安手のテレビドラマのようだった。鴻上さ
ん、台本だめだよこれじゃあ。こんな絵空事じゃあ、演劇じゃあない。
まるでテレビを早送りで見ているようなバラエティショーだ。
話の筋もひどい。結局、自分たちでは自主文化祭に他の生徒を集められ
ず、ラップのカリスマに集客も依存する有様。最後は神頼みなのか。

私は全共闘世代じゃあないし、やりたい放題の全共闘世代を早く前をど
けって思ってきた方の人間だけれど、これでは当事者たちは本気で怒る
よなあ。
中村雅俊、がんばってたけど。岡林信康の「私たちののぞむものは」の
歌は、やはり無理。言葉に力がなさすぎる。

蟹工船の描いた貧困と、今のいのちがけで時間と自分を削るだけの派遣
社会がだぶる現実日本社会なはずなのに、劇ではまるで現実とシンクロ
していないのも、何でなのだろう。

長い帰り道、ぶすぶすと満たされることなく終わった今夜の劇を何度も
何度も思い返した。そういえば、昔、つまらない劇を見終わった夜って
こうだったなあ。

ふと脳裏をかすめるのは、もしかして演劇人そのものがどこか弱ってい
るんじゃあないかという疑問だ。でも岩手に来てから10数年、まった
く劇を見てないからそうも言えない。これから冷静に芝居を見てみよう
かと逆に思った。

どんぐりと山猫上演を終えて

うーん。一夜明けて、昨日の劇を思い出す。

たった2日間で、セリフをすべておぼえて役を生き、動いていく子どもたちの集中力の深さにはおどろかされっぱなしだった。
遊ぶようにまなぶ、とはこれだな、とあらためて思った。子どもたちは遊んでるんだな。大好きな谷川俊太郎の詩「うんこ」と「おならうた」をグループごとにからだで即興的に表現したのもほんとに楽しかった。

ただ音読しただけでは現れてこないイメージが、からだを通して表現するとぐんぐん流れ始める。これはウォーミングアップ。
メインとなる本編は、どんぐりと山猫、だ。

3日前にやったオーディション(自分でやりたい役を掴むチャレンジ!)では、主役を射止めた子もそうでない子も。でも、ここからだ。凄かったのは。どんぐりが自分が一番と言い争う場面は、もう喧々諤々といったざわざわ感が生まれて、見ていたおとなも、やるなと思ったのではないだろうか。
誰かが主役で誰かが脇役、と固定された関係を突き破り、一言の必殺の一撃で関係が変わることもあるから劇は面白いんだよ。そんなことをはじめに話したら、ほんとにそうなった。セリフの少ないどんぐりたちが実は主役だったんだ、と劇を演じた子どもも私も気づかされた夜だった。

劇が終わり、森の出口に出演者とスタッフ全員で花道のトンネルを作り、観にきてくれたおとなたちを送る。そのとき、誰からともなく子どもたちの中から生まれ、口ずさんだ「翼をください」の唄。あの自由さに満ちたやわらかな感じが、その日の子どもたちの気分をもっともよく表していたのだと思う。

ただ、ただ、子どもとともに遊んだ2日間。
夜の森の中で、木々の間や草の中に置かれた手作りのキャンドルに薄白く明るく照らし出されるステージは、確かに輝いていたはずだ。(そしてわたしはいま、筋肉痛と疲労困憊な肉体を抱えているのだけれど。)

竹内さんのこと

竹内敏晴さんが亡くなったことを昔の知り合いからのメールで初めて知った。84歳。最後まで現場でワークショップを続けていたらしい。竹内さんは、戦後、劇演出家として新劇、前衛劇の最前線で活躍した方であり、70年代以降は心とからだの解放を実践的に説き続けたひと。からだの文法がわかっていたひとだ。「ことばが劈かれるとき」(思想の科学社)は今も名著だと思う。

70年代、私は彼の主宰する演劇研究所に在籍していたことがある(私にとって唯一、本当のがっこうと呼べるのはこの研究所だけだ)。
劇を通じてからだに向き合うことは地獄の釜の蓋をあけるようなものだ、といった言葉を一番初めの彼の講義で聴いたことをよく憶えている。私はまだその頃、何も知らない大学生だった。この頃、無意識の底深く、からだに刻んだ記憶は、意外なほど私の奥深いところまで達していて、今も忘れることができない。身体知、とでも言えばよいのだろうか。

演劇とは遠い昔に別れたはずの私が、いま、ここ岩手で、子どもたちの心とからだを解放するための、方法としての遊びとまなびに関わろうとしている。その原点には、間違いなく竹内さんの存在が色濃くある。不真面目な一生徒に過ぎなかった私が言うのもおかしいけれど、心の中で勝手に私は今も不肖の弟子なのだと思っている。凡庸な自分の力では恐れ多いけれど、私は私なりに彼の大切にしていたことを次の世代へつなぎたい。

劇演出家平田大一氏のこと

 竹内敏晴さん逝去の報に自分としては珍しくショックを受けている。まだ自分の中でじわーっと何か言葉では伝えられないものが蠢いている感じです。自分の限界を感じるなあ。ブログじゃあ無理だ。では、今回は明るい話題をひとつ。

 琉球史劇、現代版組踊「肝高の阿麻和利」のことを知っている方はいるだろうか。
 沖縄で活躍されている劇演出家(南方詩人)平田大一氏の講演を聞いたのは、2年前、沖縄の児童館全国大会の開会式で、だ。まだ30代。伸び盛りの彼の人生を熱く語る話は抱腹絶倒だった。笑いながら泣いてしまう。少々身をもてあまし気味のやんちゃな中高生たちと彼がどのように出会って、この10年走ってきたか。彼をそこまで駆り立てるものの根っこにあるのは、一対一の関係性へのこだわり。私はそこから始める彼の方法論というか生きるスタイルが好きだ。中高生に演劇をいっしょにやろうと行政が企画したって集まるわけがなかった。自らバスの運転手をかってでて、集めて回り、食べ物付き、お楽しみゲーム付きで、劇練習はほんのちょっぴり。でも集まりの最後に、ショータイムで自分がパフォーマンス(やむにやまれぬ状況で必死に考え、必死にもがいて…)。10人に満たなかった子どもたちが半年後には百人を突破。おとなも含めて大きな渦が生まれていく。物語の誕生だ。
 この混沌としたカオスからの始まりの話は何度聞いても本当に共感する。涙がこぼれてしまう。これは必至に支えようという状況に追い込まれた人にしかわからないことなのだと思う。岩手にやって来て東山町で宮澤賢治のミュージアムづくりに取り組んでいた頃のことを思い出した。

 沖縄まで見に行く時間がなくて、それから2年間、スケジュールとにらめっこしていたら、何とこの8月に盛岡で上演するという。何と!いうめぐりあわせ。万難を排して、最終公演に(森風スタッフの先頭に近い席取りのおかげで最高の場所を確保できた)。
 那覇、盛岡での平田氏の講演でも映像を断片的に見ていたのだが、そんなものは遥かに越える講演でした。中高生100名あまり、父母を入れると総勢どれ位だったのだろう。予定調和ではない、観客総立ちのカーテンコールが嵐のように鳴りやまない。手が痛いけれどやめたくない。恥ずかしがりで感情表現を抑制しがちな盛岡市民ととても思えない、温かい拍手が続く。途中で、舞台上の中高生がそれに応えて手を振っている。舞台と観客がともに支える幸せな瞬間だった。どこも予定調和した拍手、アンコールばかりのコンサートや劇に慣れきった私の身体を、清冽な何かが駆け抜けたような気がした。あれから2か月経っても、まだそう思える。そんな体験に出会えてうれしいなあ。
 うまいへたのテクニックなどではなくて、ひとが自分と向き合い、ただ、ただ、からだで感じたままに動き、語る。その純粋さが波のように響きあう。劇を生業とするプロの役者や表現を飯の種にするひとは、果たしてこの舞台をどう感じたのだろう。

 その日は盛岡のホテルに泊って、朝、レストランに行ったら、何と後ろの席で、平田氏がひとりでご飯を食べていたのだ。これは奇遇と、思わず話しかけてしまった。
 子どもに関わるところにいて、彼が10年間続けていることの確かさを思うと、ちょっと悔しい。いい仕事をしているなあ。日本全国見渡してもいないと思う。私も負けずにがんばろうっと。児童館の全国大会が、沖縄の後を受けて、来月、ここ岩手で開催されるのだ。

新年を迎えて

雪がやんで、星の光が校庭をかすかに照らしている。
今日から始まったエコキャビンのがっこうに参加している20名の小中学生が、今、夕ご飯作りに取り組んでいる。外のかまどに這いつくばって頬を膨らませては空気を一心不乱に竹筒で送り込んでいる女の子や、卵焼きを信じられないくらいきれいに焼き続けている男の子。寒さで湯気がもうもうと立ちこめていて暗い中で薪をくべている子も…。忙しく働いている子どもたちを見ていると、きっと家庭での夕餉の準備の光景ってこんなだったんだろうなあと思った。便利な電化生活を否定するわけではないけれど、失ってきたもののことを考えた。

今日出会ったばかりの子どもたちがみんなで協同して働いている。私にはどの子も嬉嬉として自分からからだが動いているように見える。きっと日常から遠く離れてここまでやってきた開放感もあるだろう。でもそれだけではない。やらされているからやるのではなく、興味というか探求心のようなものがその底にあるからのような気がした。働くことの気持ちよさを味わっているとでも言えるかのように。
日本人が伝統的に持っている、がむしゃらには働いていればいいこともあるさ。お天道様はおまえをきっと見ているよ、という昔私が子どもの頃に本当に当たり前によく聞いた台詞を子どもたちにそっとかけてやりたくなった。
いつから、私たちはこう言わなくなってしまったのだろう。

誰も見ていなくてもいい。私は私のために、次の世代の子どもたちのために、このがっこうを始めた。あとのことはどうでもいいと思った。そのことを忘れずに、今年も活動を続けたい。

森風会報の新年号の巻頭に私が書いた題名は、シフトダウンで行こう。
開校10年目の今年だから、記念事業で忙しくすることよりも、目の前にある生活を丁寧に味わいながら、これから先の10年をゆっくりと構想する年にするつもりだ。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

古い地図は捨てよう。

7年続けた子どもの森の館長職を3月いっぱいで辞めて森と風のがっこうに1日から戻ってきた。がっこうの空いた教室(といっても小さいですが)に、わたし専用のおしごとルームをつくった。児童館や子育て支援に関する本や資料、そして館長室に飾っていたチェブラーシカや鉄人28号などのフィギアもソフトクリームのオブジェもすべて移動して。受付に掲げてあったおんちゃんはここにいるよ看板もがっこうの入り口に架けた。デスク前の壁に貼ったのは、やはり最後のお別れの日に来てくれた子どもたち(おんちゃんとおさんぽシリーズでいっしょに遊んだ子たち)から貰った折り紙や絵。おんちゃんありがとうって書いてある。こうやって、新しいあしたに向けての準備が進んでる感じ、だ。

知人から最後の日にもらった写真集を今日開いたら出てきた言葉が「古い地図は捨てよう」「変わり続ける勇気」。むむっ、これまでずっと森風でわたしが語り続けてきたことばじゃないか。なかでも一番好きだったのは、「自分を探さない」だ。ほんとにそう思う。自分探しは何ものも生み出さないから。あまりに今の自分の心境に近いプレゼントでうれしい。Tさん、ほんとうにありがとう。

東京の画廊にて

 3月に東京の画廊で倉本聰さんの個展を見た。森風のサマースクールに講師で来ていただいているキャンドルアーティストの横島憲夫さんが協力しているからだ。地下が会場。狭い階段を降りると暗がりの中に薄明かりが漏れている。ゆらゆらと不安定な、でも暖かい明かりと影。小さな画廊には誰もいない。仄かに浮かび上がる作品はすべて樹木の点描画。見ているうちに妙にざわついていた私の気持ちも収まって、静かな沈黙に支配されたこの空間に居ることが心地よくなった。厳しい北国の自然によってしか育むことのできないものがここにはあった。
 夜、東京に着いて友人のパーティに出たのだがどうも落ち着かない。ひとと話していても、何かがこぼれていく感じがする。本音ではない、表層的な何かがベールのように覆っている。早々に退出して会場の外に出ても、都心の浮ついた風景がこの日は嫌だった。
 これはまるでドラマ「北の国から」(随分昔の話です)の中で、主人公の純くんが東京育ちなのに富良野の生活で全身で感じたものと同じじゃないか!。ここには私の居る場所がない。打ちのめされた気持ちで、そのまま宿舎に帰れず入った画廊は、ここは東京というのが嘘だというほどよけいなものがなにもなく、自然と向き合う冬の樹木の画とともに倉本さんの言葉が添えられてあった。そのごつごつとした言葉のひとつひとつには不思議と力があって胸に染みた。横島さんのキャンドルのあかりも絶妙で暖かった。森と風のがっこうの裏の森の中に毎夏子どもたちといっしょにともすあかりと同じだ。東京のど真ん中の地下の画廊で、私は静けさをやっと取り戻せた。北国の森を育む風土は、誰をも哲学者にする何かを持っているような気がしてならない。

※ちょっと内省的なつぶやきだけど、あの夜の感じはとても印象的だったので言葉にしてみました。

続・グスコーブドリの伝記を越えて

 昨夜、NHKで「サラリーマン宮澤賢治」の最後の2年半の歩みを番組化したものを見た。全国放送だったので見た方もいると思う。
 宮澤賢治の最後の仕事をした舞台は、岩手県東山町(現一関市)にある旧東北砕石工場である。サラリーマンという表現の仕方は少し違うような気もするが、この時代に「グスコーブドリの伝記」が生まれたこと、そして「雨ニモ負ケズ」が書かれたことは本当だ。東北砕石工場の修復を含め、石と賢治のミュージアムの企画構想段から深く関わったものとしては、いろんな意味で感慨深く見せてもらった。倒れても倒れてもなお起き上がって仕事を続けた賢治さんの生き様は壮絶としか言いようがない。サラリーマンという言葉では括りきれないものだと私は思う。
 考えてみれば、東山町に移住したばかりの私が賢治さんの最後の仕事の足跡を辿り、展示品を集めたり、全国から参加者を募ってグスコーブドリの大学校を開催できたことは本当に不思議な縁だったと思う。賢治さんのミュージアム建設を巡っての公共事業の抜本的修正は、町を揺るがすほどの大きな事件があったこともNHKの制作陣は何も知らないまま番組を作ったのだろう。私はその渦中に確かに居た。私自身と家族の生き方を根底から覆すほどの大きな波にも翻弄されたけれど、奇跡的に最後までミュージアムの仕事をやり遂げることができた。そのことの意味を今も問い返している。(賢治さんの弟清六さんとお話しできたことが、実は森と風のがっこうにつながっているなんて、誰も思いもしないだろうなあ)
 未来は変えることが出来る。ここ森と風のがっこうは、賢治さんの描いたグスコーブドリの伝記を越えていくために開いたがっこうだと私はそう信じている。


※以下は「グスコーブドリの伝記を越えて」と題して会報の巻頭言に書いた文ですが、再録しておきます。

 一番好きな賢治さんの童話は?と聞かれれば、まよわず、グスコーブドリの伝記と応えるだろう。
  「私はきっとそれをやります。そして大循環の風になるのです」

 温暖化防止の全国大会に出ることが決まったとき、子どもたちが演じてくれたショートストーリーの冒頭でも、この台詞を用いた。「循環」と「共生」という、いまもっとも社会に必要なキーワードがこれほど的確に表現されている物語はほかにないとさえ思えるのだ。
 鉄腕アトムの最終回の人類を救うために太陽に爆弾とともに突入していく場面とどこかシンクロさせて、自己犠牲的な感じが辛い童話と長らく思いこんでいた。でも違うのだ。14年前に岩手に移住してそれがわかった。
 次の世代のブドリやネリたちのいのちへと循環し、深くつながっていくからだ。

 世情は、あまりに一面ではおそろしく短絡的だ。他人と異なったことを言ったら最後、ヒステリックに罵倒されそうな抑圧的な力を潜在的にため込んでいる感じがしている。子どもたちはそれを鋭く感じ取っているのではないか。
 でも、それだからこそ、子どもたちとともに歩みたいと思う。子どもたちには希望がある。これからの世界を拓いていく可能性があると、私は確信している。子どもESDスクールでいっしょに生活していてそう実感している。

 森と風のがっこうは今11年目に入ろうとしている。
新しい明日はやってくるのだ。楽しみながら、この葛巻の地に根ざしながらの航海を続けよう。

何か、ちょっと力が入って珍しく長文になりました。最後まで読んでくれた方、ありがとう。

百花繚乱

この数日でさくらが散って、校庭はタンポポがいっせいに咲き乱れている。
朝、犬の散歩を終えてカフェでお茶を飲む時間に、目の前のガラス壁面はさながらすずめの観察小屋のよう。ひっきりなしに雀が現れては消える。お目通り興業をしてるみたいに、だ。
カフェの前のブルーベリーを植えた校庭にも様々な鳥たちが低空飛行でやって来ている。
暖かくなった陽気に誘われてベンチで原稿を書いていると、今、私の目の前にあるものこそ、楽園なのではないか。そんな気もしてきた。のんびり、ゆっくり、ぽけーっとしようよとは、子どもの森のコンセプトとして私が掲げたものだったけど、これまでそんな気分は味わえなかった。でも今はそんな幸せな気分でいるのは脳天気に過ぎるだろうか。楽園は10月の紅葉までずっと続くのだ。

今日から一週間予定していた宮崎行きは口蹄疫のためにすべてキャンセル。国際森林シンポジュームを準備していた現地の方々は大変な後作業に追われていることだろう。不思議なもので、一週間空いたスケジュールはあっという間に埋まってしまった。流れが何か変わったのだろうか。
来週は、秋田で児童館職員の方々の研修会をやってから、翌日は東京。にっぽん子育て応援団の一周年記念フォーラムに参加する予定。山奥に籠もって居るうちに国の子育て関連政策が大きく動いているみたいだ。久しぶりの県外行き。24日掲載の岩手日報の連載には、リスクのことを書いた。リスクはチャンスを含んでいること。だからリスクを恐れるなと若者に言いたかったことをやっとまとまって書けた。来月1日の雫石高校の生徒にもリスクの話をするつもり。

保健室で

雫石高校に講演で呼ばれて行ってきた。
毎年、生徒たちが自ら演じる保健劇で有名な高校で、以前から劇を見てみたいものだと思っていた。その学校の生徒が私の講演を以前聞いて、どうしてもみなに聞かせたいと要望があったのだという。
子どもたちからの要望とあれば、私はいつでもどこでも何を置いてでも行くことにしている。ごくたまに日程消化試合のような講演会に呼ばれると、来た以上はそれでも気力をふりしぼってこれも縁と思って誠実に話そうと思う。そういう中でも思わぬ縁が起きあがって来ることもある。
今回は、全校生徒のみなさんが本当によく最後までしっかりと聞いてくれた。いつでもどんな時でも、道に迷ってつまずいたり、後戻りしても、再チャレンジはできるんだということを1時間の予定が30分も超過してぎりぎりまで話してしまった。もちろんこれはすべて私自身の話なんだけど。体験してきたから若い人たちにはそう言いたい。
養護の先生や校長先生、副校長先生と話していて、普通に何でも話せる感じがいいと思った。それで、帰る前にぜひ保健室に立ち寄らせて下さいとお願いした。

入り口を入ると、ベットの布団を生徒さんたちが干していた。部屋の机の上にはマンガ本が並んでいる。明るく清潔で、あたたかい居場所。庭とつながっていて、その先には体育館がすぐそこに。そこに居るのが自然で、私も何気なくその場に座ったら、生徒さんが微笑みながらさっと冷たい麦茶を出してくれた。しばしの間、先生と保健委員会の生徒さんたちと談笑した。
信頼感は目に見えないけれど、ここにある。こんな何気ない感じで生徒さんと先生の間に確かにあるのを感じて私はうれしくなって思わずこう言ってしまった。ねえ、今度の保健劇はいつやるの?行きたいなあ、と。
ここに来てよかったと思えた日だった。みなさん、ありがとう。きっと今度の劇は見に行くからね。

共同通信社「地域再生列島ネット」にて 6月25日

昨年から共同通信社「地域再生列島ネット」のメンバーになっている。全国各地のまちづくりに関わる方々47名と毎月メールで意見交換をして、その模様がまた全国の地方紙に配信されるというユニークな試みだ。
その顔見せ交流会が東京であって、私も森と風のがっこうの実践を発表させてもらった。地域と地域がダイレクトにつながり、新しい価値を東京に突きつける、そんなことがすぐにも始まりそうな集まりだった。そこに地方紙や共同通信社がいっしょに居る。メディアもいっしょに先を見つめようとしている皮膚感覚のようなものが新鮮だ。

原口総務大臣が講演で述べたのは、解決型の教育が地域主権とともに今後何より大切なモノとなるといった意味のことだったかと思う。
どれほど地域主権、地方分権を進めようと、主体となる次の世代を育むためにはこれまでの教育では限界があることを端的に突くキーワードだと感じた。その先にあるのは、北欧型の環境と福祉に重心を置いたものをイメージしているのではないかとも思った。有用な人材を育てなければと思うけれど、有用に込める意味が現状ではあまりにかけ離れている。地元で将来の志望のNO1が公務員、教師。理由は安定してるから、では淋しすぎる。
すぐに何かが変わる訳でもないだろうが、先のイメージを描く中に、子どもと環境と自然エネルギーを置かない訳にはもういかないことだけは確かな気がする。
来月は北欧を8年ぶりに旅してくる。私のからっぽになったからだに、きっと何かが満ちて溢れ出してくるような予感がある。
森と風のがっこうという原点に戻ってきたことで、また縁が起き始めるというか胎動している感じがするのだ(思い過ごしも恋のうち?)。


※インターネットのニュースサイト「47NEWS」の特設コーナー「地域再生」
(http://www.47news.jp/localnews/chiikisaisei/)
交流会の様子もアップされています。

えほんの森第一回やりましたよ!(報告:おんちゃん)

ある昼下がり、森のハンモックに揺られながら木漏れ日をぽけーっと見ていた時に、突然、森の中で子どもたちと絵本を読みたいなあという思いにかられました。森で遊んだり、お菓子を作ってみたりしたいなあとも。
それで、「おんちゃんとえほんの森で今日も遊ぼう!」を月1の企画として8月から始めることにしたのです。

さて、記念すべき第1回は、まずは森の中をたんけん。ハンモックとブランコはみんなの大のお気に入りみたいでした。でもまだちょっと緊張してるみたい。

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みんな切り株に座っています。

森の中に輪切りにした木のベンチにみんなで座って、なぞなぞえほん(角野栄子著)ではじまりはじまり。なぞなぞをしてから、もりのなか(マリー・ホール・エッツ著)、ホットケーキできあがり!(エリック・カール著)を読みました。4歳から小学3年生まで、いろんな子どもたちが集まってくれました。2歳の子もお母さんといっしょに見てくれました。
そして、ここからは別々に。森のキッチンでお母さんたちは一足先に、庭に咲いているサジー(すっぱ甘い!)の実とブルーベリーのジャムと畑のお野菜を収穫してのスープ作り。
おんちゃんと子どもたちは、ブルーベリーの実をぱくぱくいただきながら(味見です)、二匹の愛犬にごあいさつ。それからにわとりさんにもごあいさつ。生み立て卵をいただいて、いよいよホットケーキづくり本番です!

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みんな自分のホットケーキは自分で作りました。

ひとりづつうまく焼けたね。それから思い思いにトッピング。もーう待てない!って感じだったけどでもよくみんな待ってたよなあ。

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森のご飯は気持ちいいな

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お母さん達が持ち寄ったお弁当が並んでいます。


森の中にテーブルと椅子を出して、はい!いただきます。
もうみんなこの時には緊張もほぐれて、お母さんたちはお母さんたちで、子どもはおんちゃんやスタッフとよくおしゃべりしながら食べました。いいぞ、いいぞ、とおんちゃんは心の中でつぶやくのでした。
それから、この指止まれ!とみんなで森の中での遊び炸裂!
お母さんたちはお母さんたちで話し込んでいて、いい雰囲気。

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みんないい顔してるね

はじめの一歩、かくれんぼ、缶蹴りなどなど、みんなで遊んだよね。楽しかったなあ。
最後は、お母さんたちも参加してのハンカチ落としで、タイムオーバー。
ああ、楽しかった!じゃあまたね、でお別れしました。
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終わっても落書きはつづく…


追記
最後は遊び足りないのか、慣れたということなのか、終わってもまだブランコをしている子や、私と黒板でずっと絵を描いていた子どもたちもいて、余韻がまだまだ続くのでした。次回はさらにみんなが慣れていくんだろうなあ。新しく参加する子どもやお母さんにも早く会いたいです。小さな子どもたちがほんとかわいい。 byおんちゃん

物知りなミミズ校長?

1冊の手作り絵本を見せてもらった。題名は、「花ちゃんとほたるの木」。
作者のあさひちゃんは小学2年生の女の子。千葉からお母さんの実家に里帰りしたこの夏に、カフェ森風にやって来た。校庭のブルーベリーの実のことを教えてあげたら、それからもうやみつきという感じで楽しそうにずっと摘んでいたことをよく憶えている。
森と風のがっこうを舞台に、ぬいぐるみのうさぎのりんちゃんが、病気の花ちゃんのためにまほうの実を探す素敵なおはなしだ。ブルーベリーがたわわに実る森が何とも美しい。その中に、物知りなミミズ校長が登場する。うん?これは私のことではないか!白いひげを伸ばした、ミミズ校長の胴体はなんとレインボーカラーに輝いている。いいなあ。まず、みみずくではなくてミミズというのがいい。それに、手足がなくて頭が大きい、そう、口でしゃべるのがすべてって…。かっ、かっ、核心を突いているじゃないか。

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先月から始めた「えほんの森」と呼応するかのように、あさひちゃんがここを舞台にものがたりを描いてくれた。子どもの感性は凄い。ここ上外川の森や川や校舎にまほうのようにいのちが吹き込まれ、この場所が輝いて見えて来た。
こんな風に、ここから無数のものがたりが生まれていくのは理想だなあ。ペネタ型、そう、永遠の生命を思わせるなあ。

今月のえほんの森ではこのおはなしを読ませてもらおうと思う。みんな楽しみにしていてね。ミミズ校長より。

第2回えほんの森はお楽しみ満載でした!

9月の話ですが、私が一番楽しみにしているのがこのえほんの森。
前回来てくれた子どもやお母さんがまた来てくれたり、
新しい子どもが入ったりで、うれしいです。

森風は栗拾いの季節だったので、森の中でいっぱい拾ったなあ。
どんな小さな子でもちゃんと拾ってるからすごい。
なめこもいっぱい取ったし。

今回は森を抜けて探検隊。隊長はわたしこと物知りなミミズ校長!
雨をものともせず行ったのは隣のコースケさんの畑。
スイカを叩いてみて音のいいものを1個いただきました。

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それから、ひみつの水場にも行ったんだよね。
こんなところがあったなんて最高(これは行ったひとだけのヒミツです)。

探検から戻ったら、お母さんお父さんといっしょにお昼ご飯。
アイシングでそれぞれに飾りつけたみんなのカップケーキも
綺麗だった(お母さんたちのケーキもそれはみごと!な美しさ)。

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絵本もいっぱい読んだんだけど、もうあっという間に時間は過ぎてしまいました。
何だか名残惜しい。もっと遊びたかったなあ。

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今回は食べものの話になっちゃったね。
お泊まりしてくれた家族の方々と炉端で
さんまを焼いて食べた夕飯もおいしかったよー。

次はもう今週の土曜日だ。
またいっぱいおんちゃんと遊ぼう!待ってるよ。

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秋は研修の季節

最近、研修で講師として各地にお伺いしていることが多い。先日、松島でやってきたのは宮城県主任児童委員のみなさんの研修会だ。私の講義とグループワークをやってきた。私の世代とその上の世代の方々が多い。中には深刻な家庭の支援を行っているケースもあって、本当に労多く報われることの少ないボランティアのような位置づけのままこんなに大切な仕事を情熱を持ってやってくれている方々がいることに何よりも私自身が勇気づけられた。
地域を見守り子どもを育てていくことを日々続けていることに頭が下がる思いだ。この仕事を今の30代、40代の次の世代が引き継いでくれるのか。少し心配。いずれ国の制度がもたなくなるのではないか?

滝沢村保育士協会のみなさんの研修会では、私が以前盛岡大学短期大学の幼児教育で教えた学生たちが今や立派な保育士になっていたり、子どもの森によくボランティアに通ってくれた県立大生がいたり、こんな風に再会できる岩手はいいなあと思った。ここでも「子どもを見守ることと見張ることの違い」をお話しした。

昨日は、先月に続き第2回目の秋田県鹿角市の児童センター、学童クラブの指導員のみなさんの研修会だった。全員で昔遊びをやったり、突然、ことばかけのレッスンをやったり。子どもや親御さんと私がやってるワークショップの写真を見ながら子どもたちとの距離感や関係性について解説したり。それぞれのクラブの様子を全員円座になって聞いたり。あっという間の3時間半だった。
ここでも涙あり笑いありの、本当に中身の濃いふれあいをさせてもらった。
こういう研修を続ける鹿角市のまなびを深めようとする積極的な姿勢はすごいなあ。しんどいことも多いけれど、子どもの気持ちに寄り添うことから信頼関係を創ることを大切にしようとする学童クラブはもっと賞賛されていいはずだと今回もあらためて思った。

♪どこまでも行こう、道は険しくても、口笛を吹きながら歩き続けよう!…なんて、ね。というわけでまだまだ研修の旅は続く。

お母さんたちは、まじょにヘンシーン!

えほんの森も3回目。秋が深まるのが今年は遅いので、
うららかな陽気の降り注ぐ森は明るいです。

おんちゃんは、新ネーム「物知りなみみず校長」という
あだ名がついたんだよと言うと、
えー!?、おんちゃんがいいー、と子どもたちの反応はさまざま。
まっ、呼びたい方でいいね。

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今日も、ハンカチ落とし、はじめの一歩、と
「連続全力の子どもプラスお父さんお母さんいっしょ遊び」からスタート。
童心に還って遊んでいるお父さんお母さんの姿を見ると、
子どもたちはほっとするんだよなあと改めて思いました。

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コースケさんちの水場探検もレギュラーコースだけど、
いつ来ても楽しいな。
森風の隠れた名所になってるわ、ここ。

それから、森のキッチンに戻ると、
お母さんたちは何やら妖しいマントを羽織ってまじょにヘンシーン!って、
特製まじょスープをぐつぐつ煮込んでたわけでした(おいしいこうもりの味!?)。

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今日のお楽しみ「アップルシナモンづくり」の時間。
りんごの芯をくり抜いて砂糖とシナモンをたっぷり入れて、
ホイルに包んだら、がんがんに燃えるおき火のクッカーに入れて待つだけ。

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こんな単純な作り方なのに、アイスクリームをたっぷりつけて
食べるとなんでこんなに美味いんだろう。
子どももおとなも、美味?い!ほんとに美味い!とろける!の連発でした。

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ごはんを森の中で食べて、こうもりと蛾のゲームで遊んだら、
今回もあっという間に終わりの時間は来たのでした。
あーあ、もう終わっちゃった。じゃあ、解散。

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でもね、まだまだ続くんだ。そこで恒例の放課後タイム!

みんなでシーソーで遊んだりして、
おんちゃんはみんながあんまり聞きたそうなので
カフェで絵本の読み聞かせをやりました。

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じゃあ、またね。いえいえまだまだ。
今日は参加した3家族がエコキャビンでお泊まり。
みんなで夕ご飯を作ったのも楽しかったなあ。

そんじゃあと言うことで、おんちゃんが7月に行った
「北欧の遊園地とケーキとお菓子のすべてを
映像で見るスペシャル企画」もやりました。
自分でしゃべっていて何だけど、あのくまさんアイス、
もう一度食べに行きたくなっちゃったデス。

お父さんもお母さんもいっしょにとことん遊べてうれしかったなあ。
じゃあまた来月。来たことない子どもたちもみんな来てね。

君の可能性―やってみなければわからないことがある―

先日講演した盛岡市内の大宮中学校から分厚い封筒が届いた。開けてみると入っていたのは、中学生の感想文二百枚のぶ厚い束だった。

中学2年生は多感な時代。うとうと眠ってもいいからね、で始まった私の講演はそれから2時間ノンストップで続いた。果たして子どもたちにどこまで私の言葉が届いたのか自分でもよく分からない。でも、一方的に私が話しているのにどこか親密でリラックスした時間を共有していたようには思う。

子どもたちの感想を読み始めて、私は最後まで手を止められなかった。目頭が熱くなった。どの子もどの子もよく聞いて(正直に眠ってたと打ち明ける子もいたけど)、自分自身と向き合っていると思えたからだ。こんな純粋さは今の大学生にはまず、ない。自分と、社会と向き合うことから逃げ出すなよ、嫌いなことからは逃げてもいいから、と私は心の中で念じていた。大事なのは自分で選択するということ、だ。リスクを背負うと言うことなのだ。

「悩む才能」という私の使った言葉が何度も感想に出てくる。「高く遠くへ跳ぼうとするものの助走距離は長い」というむのたけじさんの言葉も。
悩んではいけない。間違いに気づいても後戻りしてはいけない。成績を気にしてそればかりに囚われている子どもたちの重い抑圧を私が払うことはできないけれど、学校や家庭でつねに期待される中学生像を打ち破って自分自身の可能性をひらいていくことに向かってほしい。そう願わずにはいられない。
問題そのものを探し出すこと、答えのすぐ出ないことに向き合い続けるしぶとさは、悩む中からしか生まれない。

したたかに生き抜いていく、「じょうぶな頭とかしこいからだ」(五味太郎)を身に付けなきゃね。みんな。

中学生たちに向けたメッセージをおとなが真剣に伝えることを本当にしないといけないと今回あらためて思った。私は私なりのやり方で伝えたい。今一番悩んでいる中学生に向けて。そう思った。
今回私を呼んでくれたPTAのみなさん、本当にありがとう。

君の可能性とは、私が中学生の時に読んだ本の名前である。筑摩少年図書だったかな。そこに私が当時求めた回答はなかったけれど、可能性という言葉をそれ以来私は気に入っている。夢は現実にはならないからそういう言葉は使わない。でも、可能性という言葉はいつでもどこでも使いたいのだ。

中学生に向けた本を書きおろしたいと思う。

年末から新年へ。顛末

Xマスイブの24時間停電に始まり、大晦日から翌元旦にかけての大雪は凄まじいものだった。こんな積もり方は50年ぶりらしい。カフェの屋根がつぶれるか、エコハウスも危ないか。屋根の雪を一日中下ろしながら妻と研修生のK君と三人で生きた心地がしなかった。テレビは雪のためよく映らず、新聞も手紙も当然来ない。ローカルな情報は、テレビでは流れてない。というより、県内各地の積雪情報ですらテレビでは流れない。災害時緊急放送とか、道路交通情報、停電情報も、ない。

でも不思議なもんで、顧みると気がついたことも多々ある。まず、生存が脅かされる状況になると、ひとはなぜか元気になるということだ。ごはんが美味い。薪の温かさが身に染みる。
それに、太陽光発電とバッテリーを備えた森風のありがたさである。停電になってまず困るのは明かりもそうだが、電話が使えなくなることが大きい。ここでは電気は確保しているので、地域の方々の下界との連絡ポイントとして活用できるのだ(実際そこまでの事態には至らなかったが)。飲み水も沢水を汲める。食料も備蓄してあるので、それなりに安全安心なのである。
もうひとつ。郵便やさんのありがたさである。1月2日、初来訪者は知り合いの郵便やさんだった。普段の何倍もの時間をかけて夕方近く、年賀状と新聞を届けてくれた。ひとが来てくれただけでもうれしいのに笑顔持参なところは感動モノである。
雪に閉ざされた中で、家でひとり暮らしをしているお年寄りの安否確認だけでなく、除雪の必要性まで地域の中で声をかけて情報をつなぐ役割を果たしてくれていたらしい。こういうつなぎ目となる役割はもっと見直されてよいと思う。

今年の森風は大荒れの中でスタートした。盆暮れ正月はなかったけれど、得たことも大きい。校舎の屋根に登って雪かきをしていた時に見た、夕方の日の輝きの美しさは忘れられない。風もなく、おだやかな、光と影の織りなす点描画のようだった。

ハコモノは変えられる!

家族と岩手に移住してから私が15年間ずっと関わり続けて来たテーマが、ハコモノをどうすれば再生できるかだ。県立児童館いわて子どもの森の館長にと増田知事(当時)に依頼されたところから始まるものがたりを、ようやく「ハコモノは変えられる!―子どものための公共施設改革―」(学文社)というタイトルで本にまとめることができた。順風満帆に外からは見えながら、絶えず創造と破壊を繰り返す7年と8か月間に及ぶ改革のドキュメントだ。私の単著として出す初めての本である。

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館長職を辞めたので、課題も成果もどちらも忌憚なく冷静に書くことができたと思っている。もちろんこれからの可能性も。伝えたかったのは、プロセスそのものの中に可能性があることであり、ソフト=ひとの力の総結集が館をまるごと変えていったことである。
今、悩んだり苦しんだりしている、多くの公共施設職員、指定管理者となっているNPOのスタッフに読んでほしいと思う。本当は心ある行政マンにこそ読んでほしい。心ない行政マンがどれほど施設運営を妨げているかとも思うから。

子ども本位とか、子どもの目線でとか、言葉やお題目として語るのはたやすい。問われているのはそれを現実に変える方向性をどう具体化するか、だ。そこにはノウハウも決断も説得も必要となる。リスクを引き受ける勇気も。
子どもの置かれている状況を考えれば、抽象的な問題や課題をいじりまわしている場合ではないのだと思う。
ハコモノがすべて必要ないとは思わない。ひとが集う空間があるからこそひとやモノが交流し、対流し、交錯していく。したたかにハコモノを活用し、まったくつくりかえていく知恵と想像力を、楽しみながらユーモアで包んでいくアイデアをできるだけわかりやすく書いたつもりだが。さて、どうだろうか。

出版記念パーティのこと

出版記念パーティを終えて東京に出張が続いたため、今やっとブログを書いている。帰りの新幹線の中で、パーティの模様を岩手日報の村井さんが心暖まる記事にしてくれたことを知った。
岩手日報1月28日一面「風土計」

「ハコモノは変えられる!子どものための公共施設改革」(学文社)の発売に合わせて盛岡のメトロポリタンホテルで開催した会には、130名を越える方々が集まってくれた。いわて子どもの森の7年8か月に及んだ怒濤の日々に、こんなにも多様な人々が関わっていてくれたのだとあらためて再認識したしだいだ。(このひとたちで子どもに関わる市民シンクタンクを横断的に作ったらすごいかも)

 子どもの森を通じてお世話になった方々に直接お礼を述べたい。開館準備から7年8か月の間、たくさんの出会いや励ましを得て来れたからこそここまでやれたのだということを少しでも出席された方々にお伝えしたい。そんな思いで私はこの日を迎えた。本の中に書ききれなかったエピソードが無数にある。

 これまでも、そしてこれからも私が発し続けたい問いはひとつだけだ。
 誰のために県立児童館いわて子どもの森はあるのか。
 誰のために公共施設はあるのか。
 そして本のタイトルになった、ハコモノは変えられる!
 ということ。

 表面をなぜただけのサクセスストーリーとしてではなく、子どもたちの置かれている環境がそうであるように、今ここに在ることの困難と矛盾を抱えた県立児童館いわて子どもの森の歩みの中に子どもたちの未来への可能性を見いだそうとするおとなたちが私のまわりにこんなにも居たことが、これからの希望だ。

雨ニモマケズを朗読してくれた一花ちゃん(4年生)、子どもの森の定番になったBGMソングをやさしく、でも芯にはゆるぎない意思を秘めて歌ってくれた高橋ちあきさん、そして自然界の森羅万象と子どもをテーマにスライドショーを組んでくれた写真家の細川剛さん。彼らの織りなすライブは最高だった。賢治の弟宮澤清六さんのお孫さんである宮澤和樹さんも見ている。みんなが不思議とつながっている。
途中、子どもの森の特派員の子どもたちが突然ドアが開いて入場して来た時には本当にびっくりした。私だけがまったく知らなかった。まんまとスタッフやお父さんお母さんのしかけにはまってしまったのだ。でもそれはうれしいこと。思わず、肩の力が抜けてくる。そう、子どもの森のことを書いた本なのだから、いっしょにものがたりを創ってきた子どもたちがいなくちゃそれにふさわしくないよなあと思った。おとなのためのパーティだったのだが、会場にはそれでも子どもたちが来ている。おとなのなかに居て居心地が悪そうなわけでもない。それが何ともうれしかった。

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パーティーを呼びかけていただいた子どもの森運営委員の皆さんと

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記念写真の和やかな雰囲気の中で


パーティ開催を呼びかけていただいた子どもの森運営委員のみなさん、本当にありがとう。遠路はるばる、東京、仙台、山形、秋田、青森、北海道から駆けつけてくれた方々にもお礼を言いたい。
プロフィール

吉成信夫

Author:吉成信夫
ときどき日記です。

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