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被災地の児童館の大切さ

 沿岸の被災地を訪ねて来た。児童館も今回の地震の影響でいまだ休館中のままだ。役場職員が救援活動で走り回っている緊急非常な時に、子どもと遊ぶ場を開いていいのかというおとなの声が出ていると訪問した児童館職員の方が涙ぐみながら話してくれた。おとなでさえ感情が不安定になっている被災地で、子どもたちはおとなたちの不安を無防備なまま痛いくらいに全身で感じ取っている。大好きなテレビゲームも、おやつのお菓子も、くつろげる家もないままに。
 避難所でたくさんのおとなといっしょに不自由な生活を強いられている子どもたちがいるのに、無理解もはなはだしい話だと思う。児童館は子どもたちの遊びの場であり、友達との出会いの場であり、心の憩いの場でもある。つまりなくてはならない生活の場そのものだ。
 今大切なことは、子どもが子どものまま居られる生活時間と安らぎの場を確保することだ。児童館がなぜ戦後日本で生まれたのかを考えて欲しい。戦災孤児が社会現象化していた都会で健全な子どもの心とからだの発達には遊びが必要という認識から生まれたのがそもそもの児童館の始まりなのだ。
 児童館でも地区公民館でも空き地でも学校の空き教室でもどこでもいい。おとなの場とは別に隔離された、子どもが子どもの時間を生きることを保証する遊びの場を開くための支援に、岩手県は至急立ち上がってほしい。それに応じるNPOやボランティアは県内にも全国にもたくさんいるはずだ。

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えほんが必要です!

4月1日。洋野町の児童館の館長さんだった中家さん(昨日退職されたばかりなのに即お呼び立てしたのは私です)、久慈市のNPO琥珀の泉の女沢さんにガイドしていただき、野田村へ行ってきました。県北では被害の大きかった場所であり、報道を見ていてとても心配だったところです。役場が災害センターとして今もなお前線基地のようでひとの往来も多く、ブルトーザーも動いていて、まだ騒然とした雰囲気。外には被災された方のアルバムが並べられていて、救援物資も玄関に並んでいて、炊き出しも。
この状況の中で児童クラブはまだまだ無理かと思ったが聞いてみたらなんと今日から開始したとのこと。村社会福祉協議会の小谷地さんや放課後児童クラブの指導員のみなさんと再会できたことが一番の収穫だった。本当は大変だろうけれど、みなさん、明るくひたむきでした。
1階の図書館が水につかってしまったため、子どもたちが読むえほんが足りない!おもちゃも!。部屋を仕切るパーティションもあればいいなあと思いました。今度探してくるからねと言って別れてきました。ときどき来るからねとも。洋野町の研修会に村から来てくれたおかげでこうやって今関係が結べることのありがたさを思います。中家さん、ありがとう。

えほん、おもちゃをすぐにもお届けしたいので、このブログを読まれた方であるよーという方がいればぜひ森風にご連絡いただきたいです。森風でも探して持って行きますので。


※募集していた、えほん・おもちゃは、皆様のご協力により必要な量が集まりました。今回の募集は締め切らせていただきます。また、必要になりましたら募集いたしますので、よろしくお願いします。(4月9日追記)

自然エネルギー支援の輪が生まれる!

4月2日。自然エネルギーの協同組合レクスタの桜井さん、こばりさん、メンバーの武内さん(森風でお馴染みのたけちゃん@ソーラーワールドです)、そして酒勾さんと私で、岩手で最大の災害地となった陸前高田市へ。
今さらながらその被害の甚大さに声も出ないほどの衝撃を受けた。風工房も八木沢商店も、ジャズ喫茶ジョニーも、何もかもみんな押し流されてしまった。

夜、酒勾さんのお宅に様々な支援で昼間動いていた方々が集合。数えたら16人になっている。自己紹介のあと打合せ。
自然エネルギーをこれから未来への旗印に掲げて、市民から被災地の市民の方々へとつなぐ流れが始まろうとしている。前線でその確かな手応えを感じることができた大きな旅の日となった。
支援する、支援される、という一方的な関係ではなくて、ひとや地域の自立へ向けた自然エネルギーのプロジェクト(つながりぬくもりプロジェクト)が、東北各地と全国を結んで始まる。私や森と風のがっこうも岩手サイドで関わる。
この流れが初めは水の一滴でもやがては大河になることを望む。

今は闇でもやがては日はのぼる。「夜明け前の闇はいちばん暗い」とたいまつ新聞で言ったのはむのたけじさんだ。
私は楽観主義者なのでそう信じる。

明日、詳細は東京で記者発表されるはずなので新聞をみていただければと思う。

えほんを届けた(野田村)

昨日、野田村を再訪。以前、森風のワークショップで何度か参加され、今は北海道釧路市にお住まいの内田雅子さんからえほんが届いたからである。えほんのお店プー横丁のちえ店長さんのえほんを送ってくれたのだ(ご自身の本も入れて)。
段ボール箱を開けると、そこには綺麗な包装紙でひとつひとつ丁寧に包まれたえほんは並んでいた。折り紙で作ったコマや、指導員の方に宛てたお手紙、そしてこれは職員の方で食べてねと添え書きされたクッキーまで。まるでクリスマスプレゼントのような心遣いである。私もサンタさんにはなれないけれど代役運びやとしてこの思いを届けたいと思った。
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どきどきしながら紙をひらくと

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もうさっそくよみはじめちゃうよね

六日ぶりに訪ねた野田村の城内・新山児童クラブはちょうど始業式の日。子どもたちの数はまだ5人と少ないが、子どもたちに包装紙をほどいてもらって、さっそくえほんタイムとなった。バムケロシリーズには先生も大喜び。これ、前から入れたかったんだけど予算がなくて、と思わず私に話してくれた。

先生のおひとりは家を流された中でクラブに出勤されているというし、子どもたちもみんな不安を抱えたままなのだと思う。場所も変わったし、トイレも離れた仮設に行かなければならない。水も出ない。だからまだ、以前の日常では本当はない。
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オヤツの前はペットボトル手洗い

でもそういう中だからこそ、これまでと変わらない日常のままの児童クラブがここに毎日存在していることがどれほど被災した子どもたちにとって大切なことかと思う。お二人の先生が強い気持ちで明るくこの場所を支えている。

今度来るときは本棚が必要だなあと思った(そろそろ子どもたちと遊ぼうかな)。
えほんは第二弾、第三弾と続々森風に届き始めているので被災した保育園や幼稚園にも回っていこう。森風子ども基金にさっそくカンパしてくれた方々にお礼を言いたい。これですでに緊急支援で動いている酒匂さんに活動資金を提供できる。本当にみなさんありがとう。

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左奥に広がる野田村、住宅はほとんど壊滅

昨夜の地震でまた電気がストップしてしまった。全県だそうだ。もうそろそろ復興が始まると思った矢先のこと。お前はどういう生活を望んでいるのか。その問いを今もなお鋭く突きつけられているのだと思う

えほん集めの日

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昨日、釜石在住の畠山さんが仲介してくれて、えほんの受け取りに北上まで行ってきた。和賀川河畔のラグビー場に、北上ラグビースクールの齋籐会長、レッドファイアーズ監督の千葉さん、コーチの遠藤さん、三田さんが、明るい笑顔で待っていてくれた。えほん集めに協力してくれたNOSAI胆江(農業共済組合)職員の方々にもこの場で感謝申し上げたい。
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北上市は地理上でも釜石、陸前田、大船渡などの沿岸への中継地に当たるので、スポーツやゲームなどで自分たちなりの支援をしていきたいと指導者の方々が言ってくれたことがうれしい。
段ボール箱10個分なので300冊はあるだろうか。どれもきちんと本の表紙を拭いて汚れも取ってくれている。北上のみなさんの心のこもったえほんだ。
まだ現地は、とても震災前の日常を取り戻せている訳ではない。かたちはそう見えても、子どももおとなも心に負った不安や傷はそう簡単に癒せるものではないだろう。だから、ひとつひとつ関係を作りながらになるので、いただいたえほんすべてをすぐにはお届けできないことも快く了解いただいた。私に何が出来る訳でもないかもしれないが、この気持ちを少しづつ、復興の過程で被災した現地の子ども関連施設に届けたい。いつまでかかるかわからないけれど。モノではなく、モノにくるまれた気持ちをつなぎたい。

車に満載したえほんとともに午後、盛岡へ。「岩手の振興を考える会」(根菜屋の田中さんが呼びかけた)に顔を出す。学生さんや、IT起業した若者、NPOの方とゆっくり対話できた。何かをしたいけれどどこから関わっていいのか、と思っている若者は想像以上に多いのかも。
デザインや、ラジオというゲリラ的メデイアを用いて、若者たちが前に出てきてくれることを期待したい。それには産官学ではできないユニークな見たて方と切れ味のある道具が必須だ。知恵を絞ってほしい。

おんちゃんと遊ぼう、スタート

昨日、野田村に行ってきた。おんちゃんと遊ぼうシリーズ。その第一回目。この日は28℃と岩手ではまったくの夏日。でも、児童クラブのあるセンターは鉄筋なのでひんやりとしている。
壁には、指導員の方がおんちゃんと遊ぼうの手作りチラシを貼ってもらっていて、花飾りも。
子どもたちはまだ来ていなくて、先生方と雑談しているところにぽつぽつと1年生が入ってくる。どの子も汗を垂らしながら赤い顔して、あつうーいとか言ってるけど、全然元気。お帰り!と言ってるへんなおんちゃんが居るので、ちょっと勝手が違うみたいだ。
すぐにみんな宿題ノートを開いて各自お勉強。みんなえらいねえとちょっぴり茶化していたら、顔見知りの女の子が近づいてきた。
ガムテープにみんなの名前を書いて胸に貼ってもらう。もうここですでにお絵かき風にお花畑を書き入れたり何だかカラフル。いいね。
何となく自然に始めたかったので、おもむろにえほんを読むところからスタート。週末のえほんの森で読んだ「じごくのラーメンや」を開いたら、もうぐんぐん私も子どもも世界に入る。すごいスピード感。すげえ、辛そうな血の池ラーメンだなあ。食べられないよ。なんていろいろ言ってる。みんな地獄好きなんだね、と私。じゃあ、みんなが森と風のがっこうに来たら、血の池ラーメン作って食べようと誘うと、うんとうなずく子たち。(みんな、素直でよろしい!)

それから、もう怒濤の遊びの連続。彼らのこれやろうリクエストにひとつひとつついて行く感じ。私をいろいろ体験させてくれているんだろうなあ。オセロで小3の男の子にボロ負けし、お手玉風の鞠を蹴る室内サッカーでは走り回って私はヘロヘロに。野田の女の子は男の子に負けないくらい元気!だ。
汗だくになり、さあそろそろ帰ろうかなと思ったところに誰かが私が持参したなぞなぞ本(角野栄子さんの)に気づいて、そこからなぞなぞ大会へと延々突入して行くのであった。本を代わりばんこに読みながら遊んでいる。
(今時の小学生ってこんなになぞなぞ好きなんだ。知らんかった)

そんなこんなしてるうちにお迎えがひとり、ふたりとやってきて帰っていく子どもたち。最後に残った子を見送るとあっという間に5時を過ぎた。

子どもたちと遊んで、いい汗かいた日だった。次回はいつ来るの?と帰りがけに聞いてくる子もいて、子どもたちの発する屈託のない好奇心やエネルギーにふれた私も元気になった。指導員の先生方、ありがとう。次は7月に来るからね。こうして私の野田村本拠地デビュー戦は終わったのだった。
やっぱり、子どもと遊ぶのは天職だと思う。子どもたちはそのまんまのむき身で向き合える私にとっては得難い存在だ。

山田町のわかき保育園へ

先月に続き、わかき保育園に昨日行ってきた。
前回園長先生にお約束した「えほん専用の木製本棚」と「えほん」をプレゼントするためだ。葛巻はもう初冬の入り口にさしかかったというのに、陸中海岸はまだ秋の紅葉まっさかり。透明感のある秋の青い空とマリンブルーのおだやかな海原をひたすら南下すること3時間。
子どもたちや保育士さんの前でみみずコーチョーの私がえほんを読んだ。それからふたりのあやちゃんとけいこちゃんによる振り付けうたをみんなでやって遊んだ。(この楽しい様子はあやちゃんがブログに写真入りで後日報告する予定なので見てみてください!)
保育園が園舎としてお寺のご厚意で使っている旧タブの木荘は、はるかに海が眺望できる小高い山の上にある。甚大な被害を受けた集落からさらに山を登ったところにあるので、子どもさんの送り迎えも楽ではない。冬になれば道も凍結するかもしれないと心配もある。それでも、私がえほんを通して向き合った子どもたちの目はどの子もどの子もみな輝きに満ちていて、本当にみずみずしい。目がくりくりっと屈託なく見開いている。いい子たちだなあと思った。この子たちとまた会いたい。職員のみなさんとも。
今度はクリスマスツリーを持ってサンタさんといっしょに来るからね、と園長先生と思わず約束してしまった。全国からいただいたえほんもまた持ってこよう。
というわけで310キロの旅は終わったのでした。森風子ども災害援助基金にコンサートの収益を入れてくれたハナレグミさん、ありがとう。保育園通いはまだ続きます。
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吉成信夫

Author:吉成信夫
ときどき日記です。

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