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東京の画廊にて

 3月に東京の画廊で倉本聰さんの個展を見た。森風のサマースクールに講師で来ていただいているキャンドルアーティストの横島憲夫さんが協力しているからだ。地下が会場。狭い階段を降りると暗がりの中に薄明かりが漏れている。ゆらゆらと不安定な、でも暖かい明かりと影。小さな画廊には誰もいない。仄かに浮かび上がる作品はすべて樹木の点描画。見ているうちに妙にざわついていた私の気持ちも収まって、静かな沈黙に支配されたこの空間に居ることが心地よくなった。厳しい北国の自然によってしか育むことのできないものがここにはあった。
 夜、東京に着いて友人のパーティに出たのだがどうも落ち着かない。ひとと話していても、何かがこぼれていく感じがする。本音ではない、表層的な何かがベールのように覆っている。早々に退出して会場の外に出ても、都心の浮ついた風景がこの日は嫌だった。
 これはまるでドラマ「北の国から」(随分昔の話です)の中で、主人公の純くんが東京育ちなのに富良野の生活で全身で感じたものと同じじゃないか!。ここには私の居る場所がない。打ちのめされた気持ちで、そのまま宿舎に帰れず入った画廊は、ここは東京というのが嘘だというほどよけいなものがなにもなく、自然と向き合う冬の樹木の画とともに倉本さんの言葉が添えられてあった。そのごつごつとした言葉のひとつひとつには不思議と力があって胸に染みた。横島さんのキャンドルのあかりも絶妙で暖かった。森と風のがっこうの裏の森の中に毎夏子どもたちといっしょにともすあかりと同じだ。東京のど真ん中の地下の画廊で、私は静けさをやっと取り戻せた。北国の森を育む風土は、誰をも哲学者にする何かを持っているような気がしてならない。

※ちょっと内省的なつぶやきだけど、あの夜の感じはとても印象的だったので言葉にしてみました。

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続・グスコーブドリの伝記を越えて

 昨夜、NHKで「サラリーマン宮澤賢治」の最後の2年半の歩みを番組化したものを見た。全国放送だったので見た方もいると思う。
 宮澤賢治の最後の仕事をした舞台は、岩手県東山町(現一関市)にある旧東北砕石工場である。サラリーマンという表現の仕方は少し違うような気もするが、この時代に「グスコーブドリの伝記」が生まれたこと、そして「雨ニモ負ケズ」が書かれたことは本当だ。東北砕石工場の修復を含め、石と賢治のミュージアムの企画構想段から深く関わったものとしては、いろんな意味で感慨深く見せてもらった。倒れても倒れてもなお起き上がって仕事を続けた賢治さんの生き様は壮絶としか言いようがない。サラリーマンという言葉では括りきれないものだと私は思う。
 考えてみれば、東山町に移住したばかりの私が賢治さんの最後の仕事の足跡を辿り、展示品を集めたり、全国から参加者を募ってグスコーブドリの大学校を開催できたことは本当に不思議な縁だったと思う。賢治さんのミュージアム建設を巡っての公共事業の抜本的修正は、町を揺るがすほどの大きな事件があったこともNHKの制作陣は何も知らないまま番組を作ったのだろう。私はその渦中に確かに居た。私自身と家族の生き方を根底から覆すほどの大きな波にも翻弄されたけれど、奇跡的に最後までミュージアムの仕事をやり遂げることができた。そのことの意味を今も問い返している。(賢治さんの弟清六さんとお話しできたことが、実は森と風のがっこうにつながっているなんて、誰も思いもしないだろうなあ)
 未来は変えることが出来る。ここ森と風のがっこうは、賢治さんの描いたグスコーブドリの伝記を越えていくために開いたがっこうだと私はそう信じている。


※以下は「グスコーブドリの伝記を越えて」と題して会報の巻頭言に書いた文ですが、再録しておきます。

 一番好きな賢治さんの童話は?と聞かれれば、まよわず、グスコーブドリの伝記と応えるだろう。
  「私はきっとそれをやります。そして大循環の風になるのです」

 温暖化防止の全国大会に出ることが決まったとき、子どもたちが演じてくれたショートストーリーの冒頭でも、この台詞を用いた。「循環」と「共生」という、いまもっとも社会に必要なキーワードがこれほど的確に表現されている物語はほかにないとさえ思えるのだ。
 鉄腕アトムの最終回の人類を救うために太陽に爆弾とともに突入していく場面とどこかシンクロさせて、自己犠牲的な感じが辛い童話と長らく思いこんでいた。でも違うのだ。14年前に岩手に移住してそれがわかった。
 次の世代のブドリやネリたちのいのちへと循環し、深くつながっていくからだ。

 世情は、あまりに一面ではおそろしく短絡的だ。他人と異なったことを言ったら最後、ヒステリックに罵倒されそうな抑圧的な力を潜在的にため込んでいる感じがしている。子どもたちはそれを鋭く感じ取っているのではないか。
 でも、それだからこそ、子どもたちとともに歩みたいと思う。子どもたちには希望がある。これからの世界を拓いていく可能性があると、私は確信している。子どもESDスクールでいっしょに生活していてそう実感している。

 森と風のがっこうは今11年目に入ろうとしている。
新しい明日はやってくるのだ。楽しみながら、この葛巻の地に根ざしながらの航海を続けよう。

何か、ちょっと力が入って珍しく長文になりました。最後まで読んでくれた方、ありがとう。
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百花繚乱

この数日でさくらが散って、校庭はタンポポがいっせいに咲き乱れている。
朝、犬の散歩を終えてカフェでお茶を飲む時間に、目の前のガラス壁面はさながらすずめの観察小屋のよう。ひっきりなしに雀が現れては消える。お目通り興業をしてるみたいに、だ。
カフェの前のブルーベリーを植えた校庭にも様々な鳥たちが低空飛行でやって来ている。
暖かくなった陽気に誘われてベンチで原稿を書いていると、今、私の目の前にあるものこそ、楽園なのではないか。そんな気もしてきた。のんびり、ゆっくり、ぽけーっとしようよとは、子どもの森のコンセプトとして私が掲げたものだったけど、これまでそんな気分は味わえなかった。でも今はそんな幸せな気分でいるのは脳天気に過ぎるだろうか。楽園は10月の紅葉までずっと続くのだ。

今日から一週間予定していた宮崎行きは口蹄疫のためにすべてキャンセル。国際森林シンポジュームを準備していた現地の方々は大変な後作業に追われていることだろう。不思議なもので、一週間空いたスケジュールはあっという間に埋まってしまった。流れが何か変わったのだろうか。
来週は、秋田で児童館職員の方々の研修会をやってから、翌日は東京。にっぽん子育て応援団の一周年記念フォーラムに参加する予定。山奥に籠もって居るうちに国の子育て関連政策が大きく動いているみたいだ。久しぶりの県外行き。24日掲載の岩手日報の連載には、リスクのことを書いた。リスクはチャンスを含んでいること。だからリスクを恐れるなと若者に言いたかったことをやっとまとまって書けた。来月1日の雫石高校の生徒にもリスクの話をするつもり。
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