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昨日の地震

昨日の大地震、森風に帰る途中の車でまるで気づかず、到着したとたんの余震で事態を知った。陸前高田の河野さんやひろきは大丈夫だろうか。沿岸に友人が多いので心配だ。
森風は太陽光発電のおかげで、静かな夜の団らん。薪ストーブでスパゲッティを食べた。でもラジオが伝える沿岸の被災状況に驚く。こぶしもほたるも不安そう。

今朝、朝一番に葛巻町内のガソリンスタンドへ。7時からスタッフ総出で給油してくれた。スーパーで買い物。みなまったく落ち着いているのは、各家庭で薪とお米とお漬け物を備蓄しているためかも。何より飲料水も山水でしのげるのは都会との大きな違いだ。でも、乳牛農家の方々は本当に大変なことと思う。
一番心配なことは、原発関連設備故障の可能性だ。これだけはどうにもならない。

1970年代に松下竜一が書いた「暗闇の思想」を思い起こす。楽しみながら生活をレベルダウンすること、にたしか触れていたと思う。
地域分散型のエネルギー自給を進めることは、古くて新しいテーマだ。
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震災・その後

昨日夕方、ようやく電話と電気が復旧した。
48時間停電したため、集落の一軒一軒をきびはら君と軽トラで回ってお茶のみに来ない?とPRして、太陽光発電を溜めたバッテリーでお茶会&テレビ鑑賞会を森風で催した。急だったので人数はあまり集まらなかったけれどみんなで報道番組を震災後初めて見て、そのあまりの酷さに衝撃を受けた。
同じ岩手でも今回は葛巻は被災を免れているが、沿岸には様々な友人知人が居る。連絡を取っているが彼らの安否がまだまったくわかっていない。

ポジティブな話しもしたい。太陽光発電、太陽熱温水器の設備をご近所に解放すれば、被災地であればかなり小回りのきく効果的支援が可能なことは、実感としてよくわかった。自衛隊でなくても温泉はまちの横丁に設置できる。薪風呂と太陽熱温水器を併用する森風のエコハウスは
太陽光発電を設置しているご家庭は、自立運転機能のスイッチを切り替えるだけで交流電力が得られることも、もっと知らせなければいけないと、PVネットの都筑建さんはメールで訴えている。どの通りだと思う。
小規模分散型の自然エネルギー利用の地域支援ネットワークが必要だ。これはいつもずっと思ってきたことだけれど、今回の大災害を機に多様性ある選択肢を公共政策の中にがっちりと入れていかなければとあらためて考えている。

28日からの春の子どもESDサマースクールの中止を決めた。残念だ。子どもたちとこういう時こそ会って直接伝えたいことがあるのだけれど、ガソリンもままならない状況では困難と判断した。
福島原発が、以前スクールのみんなで歌い踊ったサマータイムブルースのようにならないことを本気で願う。(清志郎は草葉の陰からどう見ているかなあ)
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原発!のこと


スウェーデンにいる娘と電話で話した。日本の震災と原発はむこうでも大きなニュースになっているらしい。日本のような津波や地震は起きない土地だけれど、すぐ近くに原子力発電所があるので住民の関心も高いという。地元紙の社説で、日本の原発事故に学ぼうという書き方で老朽化しつつある自分たちの原発のこれからをどうするかをテーマにしているとのこと。向こうでは、何故、日本は島国で火山国なのにこんなに原子力発電を推進してきたのかが理解できないというのは一般的な疑問だという。
岩手に移住する直前、当時まだ小学生だった娘が全国活断層地図を食い入るように見て、お父さん、岩手は大丈夫だね、原発もないねと私に言ったことが思い出される。

これまで絶対に安全と長年言い続けて来た学者や専門家はどう責任を取れるのだろうか。日本は広島・長崎で被爆国となり、今また原発事故で世界の最前線に立つという皮肉を笑ってもいられない。これからのエネルギー政策をどう転換できるか、東北エリア、岩手県ではどういうプランを持つのか。地域主権とエネルギー自給は深くリンクした課題だ。

今日は雪。今回の原発事故が最悪の事態を招かないことを祈るような気持ちで空を見ている。

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町に出てみると

ガソリン残量を気にしながら数日ぶりに車で町へ出た。スーパーの陳列棚もかなり並びはじめた。震災後、お豆腐屋さんや餅菓子を作る工房、葛巻牛乳など、地域内で作るものが棚を支え続けてきた気がする。ガソリンが不足したおかげで地元に商品が留まっている。相変わらず、商品の買い占め騒ぎは起こっていないし、それなりの落ち着きが変わっていないのは東京で長く暮らしてオイルショックを体験した私としてはうれしい。
これまで都市近郊で購入していたものを町内の小さな商店で購入することでひとのつながりが戻ったことも大きい。小規模分散型の社会がガソリンが不足して始めて町にも見えてきている。今後復旧した段階でも、それらすべてのつながりが消えてしまうとは私には思えない。

昨朝、釜石の災害支援に北海道から入っている「ねおす」の後続グループが、途中で立ち寄ってくれた。彼らのワゴン車にはガソリン、太陽光パネル、薪ストーブなどが満載。私も同乗させてもらって釜石に入りたい衝動にかられたが思いとどまった。

いま、災害地と連絡を取り情報を集めながら、「森風子ども災害支援基金」の準備をしている。口座の開設に一週間かかるのであともう少し。これまで関わってきたすべてのご縁を総動員して全国の方々に協力をお願いしたいと思う。
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希望のつくり方―未来への絵図を描くことー


震災のあと、ずっともやもやとしてきたのだが、今、必要なことは、これからの希望をどうしたら私たちが見いだせるかではないかと思えてならない。

震災10日目。テレビの討論会で増田寛也さんが、関東大震災後の東京復興計画を後藤新平が専門家と描いたように、これからの絵図を描く東北復興院を提唱していた。
まったく同感。いますでに始まっている復興へ向けた取り組みは、これまで通りの公共事業でよいのか。これからのビジョンにどういう理念と考え方を込めるのかによって、復興の方向は大きく異なるはずだ。

被災した人々がこれから家や財産だけでなく、仕事も無くした状態のまま、家族を抱えてこれから生きながらえていくのでは希望など生まれてくるはずもない。災害地の知り合いが、生き残っても仕事がなければ地獄だ、と電話で漏らしてくれた言葉の意味はあまりに重い。私もともに考えていくからとしか今は言いようがない。
これから復興だけではなく、新しい「住まい方」の価値観を込めていくという発想が必要だ。希望は絵図があって初めて可能になるはずだ。

自著「ハコモノは変えられる!―子どものための公共施設改革―」でも述べた通り、児童館、放課後児童クラブ、子ども教室、子育て支援センター、など放課後の子どもと親の地域支援の枠組みの中に、「子どもの相談機能」をしっかりと位置づけること。行政の縦割りと規制を越えて質の高いネットワークを創ること。これは、沿岸地域のこれからの復興計画に明確に位置づけてほしい。
日本国内でも最先端モデル地域と言えるほどの子育て環境をイメージして、ハコモノの中身、位置づけ、機能を、住民が安心して住み続けて行きたいと思えるものにしなければいけない。

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肥担ぎをしながら考えた


溢れそうになるほど溜まっていた糞尿を桶でくみ出し、こぼさないように注意深く運び、バイオガスのタンクに投入する作業をしていたら、子どもの頃に近くの畑の脇にあった肥だめの匂いを思い出した。そうだ、縁で遊んでいたら足を滑らせて、どぼん!と片足が糞まみれになってしまったことがあったっけ。あの頃は東京でも当たり前の光景として肥だめがどこにでも存在していた。該当の電灯だって、誰かが気づいて夕暮れ時になればスイッチをひねったのだ。センサーで自動で点灯した訳ではない。
人糞も牛糞も、排出したうんちからバイオガスを取り出すシステムが、地域の中でうまくシステムとして循環すればいいいよなあ。木酢液は畑にまけばいいのだ。自動車だって、ベジタブルガソリンや天ぷら油から製油するプラントを地域で持てばいい。自然エネルギーを生活にとけ込ませ、プレーグラウンドもあり、畑やレストランもある村。昨年訪問したイギリスのCATを思い出した。
焼け野原になってしまった沿岸の被災地に、エコロジカルな村をもう一度根底からつくり直す夢。
今回の地震災害の計り知れない負の力を押し返すには、小さくても灯台の明かりのような一筋の光が必要だ。国内のどこでもやっていないような夢のような地域モデルを東北の地に創り出してしまう位の発想があっていいのではないか。未来の暮らし方を<見える化>した場所が必要だ。もちろん、森と風のがっこうを創ったのは、そういう理由からなのだが。

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子どもたち自身の手で運営するボランティアセンターはいい!


朝のNHKを見ていたら、被災した子どもたちによる避難所で自主ボランティア活動の様子がリポートされていた。避難所の子どもたち自身が自分たちでやれることを考えて、情報を入手し、編集加工し、掲示板におとな顔負けに掲示している。きめ細かに、しかも楽しく。パンを配給に回ってきてくれる子どもたちの姿に接した高齢者の方々もうれしそうだ。

映像を見ていて、昨年まで子どもの森でやっていた「いわて子ども特派員」(1期から7期生まで)の子どもたちのことを思い出した。自分たちの手でラジオ番組を作り放送する。こどものまちを子どもたちが考えてお店を運営する。そんなことを随分たくさんいっしょにやった。自主的、自発的に子どもたちの内側から生まれるやりたい意欲は、おとなが想像できないくらいすごいのだ。(そういえば昨日、森風に家族で立ち寄ってくれたU君も、ラジオ番組スタッフのレギュラーメンバーだったことを思い出した)
外から手をさしのべる支援はもちろん必要だけれど、地元の子どもたちが地元のおとなとの間で、子どもたちが自主的に始めるボランティア活動はもっと大切だと思う。そこに活動を見守るおとながいれば、地域のおとなの大きな励ましの力になるかもしれない。
復興に必要なのは、自主的自発的な力だ。これは子どももおとなも同じ。

私といっしょに遊んだ、特派員だった子どもたちは沿岸にもいる。
みんな、今何を考えているだろう。
羽根があるなら飛んでいきたい。

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被災地・釜石で出会いが生まれた!

昨日、なんとかガソリンが調達できたので、きびちゃん、ゆりさんと三人で被災地を訪ねた。岩泉、宮古、田老、山田、大槌と沿岸を抜けて、釜石に入ることができた。
エリアが広大なこと、東北沿岸へのアクセスの悪さもあるのだろうが、どこも総じて思うのはひとのまばらなこと。自衛隊さえぽつぽつ姿を見る程度で、被災された方々以外に救援で入っているひとはまだ少数だ。

釜石市内で移動青果販売をされている畠山さんに持って行った、ガスカートリッジ、切り炭(葛巻産)、卵(森風)などを渡す。もともと有機米など、安全安心に配慮した野菜を販売している畠山さんは現在、赤字覚悟で被災された市内の方々に宅配サービスをしている方なので、花巻市の酒匂さん(パーマカルチャー農業家)、山田さん(バイオディーゼルアドベンチャー)と引き合わせたいなあと携帯で連絡を取ったら、なんとすぐ近くを走っているとのこと!すごいタイミング。

待つこと数分。天ぷら油を精製するミニミニプラントを車で積んで、生活物資を沿岸に届けて回っている山田さんの度派手な車(パリダカラリーに参戦してきた車)と酒匂さんのワゴン車(天ぷら油で走る)が登場。山田さんを取材で追うテレビ局の車を帯同して、だ。こんな奇跡のような出会いが実現できたことにみんな本当に驚いた。
スーパーの駐車場はすぐに物々交換の場に。

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森と風のがっこうから積み込んだ物資で車は満載

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写真左から、吉成、畠山さん、山田さん、酒勾さん

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山田さんのプラントを積んだ車

森風から持って行った灯油とゴム長靴は酒匂さんの車へ。酒匂さんの車の野ぼう菜等の無農薬野菜とリンゴは畠山さんの車へ。そして畠山さんの車のお米等も酒勾さんへと積み込まれた。

全国から支援で集まる食材も物品もみんな寄付するひとの気持ちがこもったモノだ。だからその気持ちをたしかに受け取る、受け取れる、個人から個人への信頼感が欠かせない。それがなければただのモノの受け渡しだ。
食の安全安心を共感できる地元の畠山さんと外部の支援の輪がつながることで、これからも様々なつながりの輪が生まれる。救援物資の届きにくい避難所や高齢者のお宅に少しでも届けるという山田さんの言葉がありがたい。そしてモノを媒介にした生きた情報交換が大事だ。
森風の私たちがピンポイントでもそのきっかけに立ち会えたことが何よりもうれしい。

ガソリン、燃料が不足しているために行政もNPOもなかなか動けない。その中で自在にフットワークよく動くバイオディーゼルの力をあらためて思った。そこに住むひと、地域の自立にエネルギーは欠かせない。ここはこれからの未来をデザインする上での大事な鍵だ。

上中島児童館で館長さんや職員の方と少しお話しをして、エコツーリズムセンターのメンバーでもある北海道のNPOねおすが支援拠点を作っている栗林児童館も訪問。ゆりさん特製のカップケーキを来ていた子どもたちに差し入れ。子どもたちの笑顔を見るとうれしい。ここはエコセン関連のみなさんが各地から集まっていてボランティアが支援物資を運んでいるという点でも機能している場所だ。みんながんばってほしい。

往復400キロ近くを走って日帰りで森風に戻った。

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被災地の児童館の大切さ

 沿岸の被災地を訪ねて来た。児童館も今回の地震の影響でいまだ休館中のままだ。役場職員が救援活動で走り回っている緊急非常な時に、子どもと遊ぶ場を開いていいのかというおとなの声が出ていると訪問した児童館職員の方が涙ぐみながら話してくれた。おとなでさえ感情が不安定になっている被災地で、子どもたちはおとなたちの不安を無防備なまま痛いくらいに全身で感じ取っている。大好きなテレビゲームも、おやつのお菓子も、くつろげる家もないままに。
 避難所でたくさんのおとなといっしょに不自由な生活を強いられている子どもたちがいるのに、無理解もはなはだしい話だと思う。児童館は子どもたちの遊びの場であり、友達との出会いの場であり、心の憩いの場でもある。つまりなくてはならない生活の場そのものだ。
 今大切なことは、子どもが子どものまま居られる生活時間と安らぎの場を確保することだ。児童館がなぜ戦後日本で生まれたのかを考えて欲しい。戦災孤児が社会現象化していた都会で健全な子どもの心とからだの発達には遊びが必要という認識から生まれたのがそもそもの児童館の始まりなのだ。
 児童館でも地区公民館でも空き地でも学校の空き教室でもどこでもいい。おとなの場とは別に隔離された、子どもが子どもの時間を生きることを保証する遊びの場を開くための支援に、岩手県は至急立ち上がってほしい。それに応じるNPOやボランティアは県内にも全国にもたくさんいるはずだ。

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珈琲店主の意地


釜石帰りに日頃お世話になっているネルドリップ珈琲の名店、機屋さん(盛岡市)に久しぶりに立ち寄る。
いつもと変わらぬ品揃え、いつもの珈琲にほっとひと息。変わらぬ味がそこにあった。
震災の話を店主の関さんに伺ったら、激しい揺れの中でみんなでカウンター後ろの壁いっぱいに置かれたデミカップやグラスを手で押さえ、陳列されたコレクションはすべて割れなかったそうだ。店主の気合いだね、と感心して言ったら、もちろんという感じだった。
機屋さんは老舗地元百貨店の川徳別館にも出店しているのだが、翌日は停電のため百貨店は全館休業。その時も気合いで百貨店前に出店を出して珈琲を入れ続けたそうだ。
こういう非日常の世の中で、今日必死に明日を読んでいまできることをすべてやろうと試みている珈琲屋さんの意地はすごいと思った。
面白かったのは、ガソリン不足の盛岡で、食材の供給にこれまでの車での搬送をすっぱりあきらめて、自転車に何十キログラムの生クリームを積んで店主自らえっちら運ぶ日々にももうすっかり慣れたというお話。これはなかなかいいから今後も続けるつもりらしい。
既成概念をはずして未来を考え、今日できることをやる。この繰り返しあるのみ。後から路は出来る。そう言っているようで、何だか励まされたなあ。かっこいいぜ、関さん。(そうだろって言いそうだな)

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吉成信夫

Author:吉成信夫
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