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えほんの静かな波紋

先月23日に開催した森風えほんフェスティバルは、私に何か深いところで変化と気づきを与えてくれたように思う。山と森の精気に溢れたここ森風の校庭に、子どもたちと親御さんとカフェ、そして高校生たちが雨の中がんばって手作りしてくれた本棚が並んでいる姿があまりに自然だったこと。本来えほんは家の中で読むものなはずだけれど、野外に展示してみると驚くほど新鮮な感じがしたのだ。私が独断と偏見で選んだお気に入りえほん100冊は、一堂に並べてみるとけっこうなインパクトがあった。それに参加してくれたおとなも子どもも、みんないい雰囲気でえほんを真ん中にひとの輪がそれぞれの場所で生まれている。あたたかくて、去りがたくて、気持ちの良い場所が私の眼前に広がっていて、本当に感動的な風景だった。麗らかな秋の陽ざしに背中がほんのりと温まる中で、風も感じる場所でえほんたちが居る。そして草むらの中やブランコの上には住吉さんが作った杉うさぎたちが佇む。カフェの草屋根から顔を出した煙突からはもくもく煙がたなびいいている。

昨年から始めた、「えほんの森で今日も遊ぼう!」シリーズは、机と椅子に縛られた図書室を脱出してえほんを持って自由に野外に出ることが意図だった。でも、えほんを読みきかせていたのは基本的に私だった。そうか、自分たちでえほんを選んで、気持ちの良い場所を見つけ、自分たちで思い思いに本棚に展示していいんだとえほんフェスをやってみて実感したことは私にとって大事な発見だ。これは面白いじゃないか。

思いついたらすぐ試してみようというのが私の性分なので、翌24日のえほんの森は、急きょ企画を変えて、親子で創る野外えほん図書館をテーマにやってみた。家族ごとに選ぶえほんも展示方法も異なっていて見応え十分だった。それに気をよくして、26日の盛岡市児童館職員研修にも応用してやってみた。さすが児童館の先生方はえほんに造詣の深い方が多くてこれもかなり盛り上がった。えほんにもう一度出会う契機になったとか、児童館の本棚を考え直したいなど、感想も多くいただいた。
グリコではないけれど、2度美味しいものは3度美味しいというのが私の主義だ。

というわけで、短期間のうちに3度野外えほん図書館を試すことができた。今月末は、森のようちえん全国フォーラムイン新潟(妙高高原)で分科会を私が持つことになってるので、そこでこの事例をしっかりお話ししてみたいと思う。
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野田村子ども招待キャンプ2報告

周囲の山々も色づき始め、上外川の秋も深まり始めた。
この季節になると、車に乗れば必ず聴く歌は、「優しい時間」の主題歌。倉本聰さん原作のテレビ番組で以前流れていたあの曲。もう冬が近い。

10月の初めに、野田村の子どもたちを再びここに招待してお泊まりスクールをやった。森風子ども災害援助基金事業の2回目。教育委員会のみなさんも7月と同じメンバーで、気心もしれている。今回は11名の小学生たちが参加。本当に倒れるまで遊ぶ2日間となった。
野田の子どもたちはとにかくもう外遊びが大好き。前回参加した子たちも居て、サッカー、野球、バトミントンを初め球技のオンパレード。夜はみんなで囲炉裏で焼いた炭火さんまと竈炊きごはんをいただく。

こわいはなし2
夜はおんちゃんのこわーいお話、学校の怪談シリーズ。

それから翌日は、頭巾を被って「忍者修行」遊び。
にんじゃ

缶けりやかくれんぼをずーっとやった(みんなはまったらしい)。Sケンも人気で、男の子も女の子も肉弾戦さながらのぶつかり合いだった。
Sけん

遊んで遊んで遊びまくる。これぞ、ザ・モリカゼ!スクール。

野田村の職員の方々もずっといっしょに遊んで、いっしょにスタッフワークをしてくれて、いい雰囲気のチームだった。おつかれさま。
他の沿岸被災地にも声をかけて、こうした招待スクールを今後も開催していきたいと思う。
基金に協力してくれた全国のみなさん、ありがとう。

9月から続いている行事がひとつひとつ思い出になり、終わっていく。震災後にまだ会えていない方々も多くいる。冬になれば逆に私は沿岸に行く機会が増えることになりそうだ。そうしたいと思う。

野田集合_1

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被災地訪問、再び。

秋になってようやくまた被災地を回る時間が確保できるようになって来たので、報告をふたつ。ひとつは、山田町のわかき保育園に行ってきたことだ。
先月開催した「森風えほんフェスティバル」にボランティアスタッフとして参加してくれたあやこちゃからえほん寄贈先の情報を貰い、ふたりで現地に行ってきた。船越地区は、中心街から先に入った半島の一角。途中、鯨と海の科学館脇にうずたかく積み上げられた瓦礫の巨大な山を横目にして、さらに進む。
半島の入り口がボトルネックのように細くなっているため、両側から津波が来て震災直後は半島そのものが孤立したらしい。田の浜地区は山際の民家と商家を除いてほとんど壊滅。わかき保育園も全焼。ここからさらに奥へ。人家もない丘の上の旧保養所(タブの木荘)が目的地のわかき保育園。
園長先生が待っていてくれた。お寺(瑞然寺さん)のご厚意でこの場所を借りられるまでのひと月あまり、園を再開できるかどうか大変なご苦労されたお話や今必要なことについてお話をした。
大広間をふたつに区切って周囲を囲んでクラスを作った中で子どもたちはお昼寝の真っ最中。先生方が明るく、懸命に子どもたちの保育場を守っている姿が印象的だった。私に出来ることはささやかなことしかできないが、えほんの本棚を次回、えほんといっしょに持ってくることにする。本棚は森風子ども災害援助基金で対応することに。もちろんえほんもその時子どもたちの間でよみきかせをさせてもらうことになった。
11月の訪問日が楽しみだ。

そしてもうひとつ。訪問させてもらったのは宮古市田老地区。沿岸北部では被害の大きかったことは聞いてはいたが、グリーンピア三陸みやこの敷地内に巨大な仮設住宅群が広がっている。今回訪問したのは、森と風のがっこうの私のワークショップに昨年ずっと親子参加してくれたKさんたちに再会するためだ。
4百戸、千人を越える方々が暮らすコミュニティの規模の大きさにまず驚かされた。子どもたちが集会所の脇で遊んでいた。

子どもたちはどこでも遊ぶ。公園や児童館がなくたって、うるさいとおとなにたとえ言われたって平気なはずだ。でも、のびのびと心ゆくまで自由に遊べる場所やそれを保障するおとなの存在は必要。ここ田老にも。
旧知の子どもたちとも久しぶりの再会。この子どもたちを森と風のがっこうに招待する企画を進めたいと思う。といってもまだ私の願望に過ぎないのだが。
みんなで倒れるまで遊ぼう! これは最近私がよく子どもたちに言うキャッチフレーズみたいな口ぐせだ。野田村の子たちと同様に、他の沿岸の子どもたちとも森風で遊び回りたいと思う。

訪問した山田と田老で実際様々に考えさせられたことがあった。
緊急物資の支援から先へと支援はどう変わるのか。ニーズは現場でなければつかめない。一方的な支援ではなく、いっしょに同じ地平に立って先の見えない中でも先を考えていくひとや団体やつながりが必要なのだと痛感した。
専門性やネットワークを持ちながらも、仕組みづくりやマネジメントをともに考えていける人材が、圧倒的に不足している。同じ県内に暮らしていることの強みは、何度でも継続的な関係をつなぐことができることだ。

しかし、国、県、行政への不信、何もやってくれなかったことへの深い諦めのようなものをいつも強く感じるのは何故なのだろう。
民から民へ。今から、ここからつながなければならないことが想像できないほどたくさんあるような気がする。冬が近い。
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エコビレッジ?

エコビレッジというとどうも70年代のヒッピーたちの文化をイメージしてしまう。ヨーロッパにはその後も連綿と時代をつないできた由緒正しいエコビレッジがたくさんある。エコビレッジ旅歩きのディレクトリーまであるから驚きだ。同質の価値観を共有するコンミューンと言えばよいのだろうか。
でも、日本ではちょっとそれとは異なる感じがする。もっと地域とともにある道を模索する感じ。どうも3.11後のここ日本では何かが深いところで変わりつつあるのかもしれない。
先日、NHKで夜の番組では、埼玉県小川町などエネルギーと食の自給地域圏づくりを正面から見据えていた。エコビレッジとはひと言も言っていないけれど、上からの改革とはまるで異なる、地を這うような地味な広がり方が確かな気がする。
欧米のような文化的な背景とは異なるエコビレッジづくりが日本でも始まっている。お呼びがかかって、私が先日事例報告をしに行ってきたのは長野県小諸市。ここでは、全国ネットを持つNGOと公共施設(東京都港区)と企業と地元が手を組んでエコビレッジづくりを進めているところが新鮮だ。多様な考え方を持つ人々が、いっしょに対話をしながら新しい器を創造しようとしている。
これが1箇所目。
もうひとつのエコビレッジづくりが始まるのは、神奈川県小田原市。教育委員会と地元の方々とNPOがやはり手を組んで、廃港跡の校舎を使って夢を描いている。先日、視察団が森風に来て宿泊。葛巻町を周遊して見てもらい、ゆっくりお話をさせていただいた。12月には私が小田原に行って講演をする予定になっている。ここが2箇所目。
そして森風を含めれば、3箇所の公共施設が新たなエコビレッジとしてリンクするかもしれない。生活をベースに、地元に根を張りながら協働で、エネルギーと食の自給圏を志向するという意味でのエコビレッジと言えばよいか。
いずれにせと、地域の生活と文化というか土の記憶というか潜在的な基盤に共感・共振しながらあらたな価値を共創するものにならなければ絵に描いた餅になってしまう。

カタカナ英語で言おうとするとなかなか難しい。新しき村と言うと大正時代にまで遡ってしまう。マスコミに消費されない、何か良い語り方を考えなければと思う。
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