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新年を迎えて

今年は啄木歌集「一握の砂」発刊百周年だそうだ。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」
私が一番好きな啄木の短歌はこれだ。中学の時に出会って以来、頭の片隅に必ず在る。というか離れない。当時のTVCMで知ったのだがそこでは、ナレーションがこう続く。「人生をうまく生きようなどと考えているひまはない…」。多感なティーンエイジだった私は、この言葉の凄さに心をわしづかみにされてしまった。
生き急ぐように全力で走りきろうとするのはどこか愚直で直線的な単純さを感じるのだけれど、そうとしか生きられないひとが世の中にはいる。夭逝したひとはみんなそうだ。
私の友人の中にもそういう男が昔、いた。
宮澤賢治さんも全力のひとだったのではないかという気がする。

私はあきっぽくて、脇道逸れてばかりでぜんぜんそうはなれないけれど、あすなろ物語みたいにどこかで啄木の言葉が響いている。脇に逸れてみるのもいいと本気で思う一方で、自分の仕事をまっとうしたいとも本当に願う。私のこの年代で、成熟とはかけ離れたことを未だに思っているのもどうなのかわからないけれど…。力を抜いて、飄々と、いう境地とはほど遠い。

たざわこ芸術村のわらび座で今月21日(土)から、冬の小劇場「セロ弾きのゴーシュ」の上演が行われる。その初日に講演を頼まれた。
東日本復興支援公演という位置づけなので、「賢治と心の復興~子どもたちとともに~」という題で話しをという。わらび座さんから提案いただいた題に、子どもたちとともに、と副題を入れさせてもらった上でお引き受けすることに決めた。今もっとも語りたいことだけを語りたいと思う。
もし興味ある方がいたらどうぞ。観劇いただいた方、無料だそうです。
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田老の子どもたち

正月明けの1月6日から7日にかけて、宮古市田老第一小の子どもたち14名と支援員さん4名と私たち森風スタッフの1泊2日の遊びのがっこうを開催した。
昨年、森風のワークショップでこの学校に春まで在籍していたKくんとお母さんに出会ったことがはじまりだった。家が津波で壊され、新学期から盛岡市内へ転校してきたのだということを伺った。それから森風に来るたびに話しているうちに、Kくんと友だちになった。私が昨年来、よく読み聞かせに使っている絵本「だいじょうぶ?だいじょうぶさ!」の存在を私に教えてくれたのもKくんとお母さんだ。
今回、田老の子どもたちをつないでくれたのも、一昨年、震災の前に私が毎月やっていた「えほんの森」に子どもたちと通い続けてくれたお母さんが、やはりご自宅を流され、仮設住宅で支援活動をされていたからだ。何か、私たちでもできることはないか。そのスタートとして子どもたちを招待したいと思った。
偶然、えほんが取り持ったつながりのおかげで、このスクールが実現した。もちろん、助成財団センターさんをはじめ、様々な方々からの資金カンパに支えられたからこそなのだが。

短い時間だったけれど、朝の七草粥に始まり、自分でトッピングした石釜ピザを焼き残さず食べ、スノーシューで森を探検し、雪合戦もみんなでやれた。何より男の子も女の子もみんな仲良しでまとまっていたことが印象深い。来た時からずっと帰るまで変わらず、そうだった。
仮設住宅ではできない遊びをいっぱいやりたいと言っていた子たちは、ぞんぶんに遊びきってくれたろうか。いやいや、違うな。遊べば遊ぶほどもっと遊びたい。思いを残して帰った子もいたような気がする。今度また、やろう。

もうひとつうれしいことがあった。私が「いわて子どもの森」の館長だった時、ずっと何年も通い続けてきてくれたSちゃん(今は宮古市内の高校1年生)が志願してボランティアに来てくれたのだ。彼女が披露してくれた手品に、子どもたちは釘づけだった。

年末の急病で参加できなかったKくん。また誘うからね。(きみに預かったメッセージはみんなにちゃんと伝えたよ)。
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林光さん逝く

正月明けに作曲家の林光さんが逝去されたことを知った。
森と風のがっこうの校歌としてこの十年ずっと子どもたちによって歌い継がれてきた「伝説の広場のうた」の作詞作曲をされた方だ。今も森風の講堂の壁には、模造紙に書かれた歌詞が貼られている。長い年月の間に変色し、埃もかぶり、何度もはがれたから満身創痍という感じだけれど、私がここを始めたとき、日本国内中に誇り高く掲げた「旗」のようなシンボリックな存在なのである。
もう何千人、いやもっとかな、おとなもいれたらすごい数の人々がこの講堂と呼ぶにはあまりに小さな場所で、夏も冬もみんなで歌ったうた。

校歌といっても勝手に断りも入れずに使わせてもらってきた。きっと林さんなら笑って許してもらえるだろうという私の思い込みがそうさせている。子どもの気持ちをそのまま受け止めて、子どもの言い分もそのままおとなに向けて、あんなにたくさんの歌を創りだしてくれた方だから。
昔、一度だけ、林さんの歌の集いに顔を出したことがある。もう二十年以上前のこと。ピアノの前に集まったひとたちが、ただただ林さんのピアノに合わせて歌うだけの集いだった。
それぞれの声が集まって怒涛のような力があふれ出す。歌はこう歌おうというような型もなかったはずだ。
初めて会ったひとでもぜんぜんOKな、ひらかれた自由な場。歌い終わった時のあのすがすがしい解放感。
これは宮澤賢治さんのセロ弾きのゴーシュじゃないか。音楽カウンセリングなんていうものではまるでなくて、ずっと明るく透明で自由だ。
私もいっしょに行った連れ合いもなんだか夢中に歌っているうちに元気になった!としかいいようのない不思議な感じがした。癒すとか癒されるという言葉もいらない自然さ。

林さんは宮澤賢治さんへの造詣も深くて、彼の提供したオペレッタも数多い。こんにゃく座の「森は生きている」(マルシャーク)の劇中歌は、いまここ森と風のがっこうのある葛巻町の白い森の中で、私の少々音程のはずれた歌となって今日も歌い継がれている。
伝説の広場のうたは、これからも勝手に子どもたちと歌っていくつもりだ。
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セロ弾きのゴーシュ。野口整体

ウインタースクールのことと、正月明けの田老の子どもたちの宿泊合宿で思ったことを、震災のことと合わせて岩手日報のエッセイにまとめた。1月22日のいわての風欄に掲載予定。
共同通信社の地・宝・人ネットワークという全国の有識者、つまりはよそ者、若者、バカ者で作るネットワークにも短い原稿を書いた。「中間山地の暮らしを楽しむ極意」というお題に、森風で10年間住んできた中での法則・鉄則四か条をまとめてみた。これは共同通信の配信で流れるが、地方紙が書いてくれるかどうかはまちまちらしい。

わらび座での講演が21日に近づいてきたので、「セロ弾きのゴーシュ」を久しぶりに再読した。賢治さんが選び取った言葉のぎらぎらした塊りが迫ってきた。かっこうのセリフには泣かされる。
「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地のないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ」賢治さんの身体言語が炸裂しています。この童話には全身芸術家の成長していくプロセスが描かれている。それもかなり現実的に。
芸術家だけでなく、仕事に向き合う職業家としてはみんな同じなのだと思う。専門家が専門家ではないものたちとの交流の中で成長していくところがいいなあ。

野ネズミのお母さんと病気の子が治ってしまうシーンも本当に感慨深い。いつのまにか、自然に。自己治癒していく場は、まるで野口整体のようだ。この童話と野口整体の関係もまた私にはとても興味深い。今日は整体の先生が東京からお見えになる。1か月に一度の大切な、自分と向き合う楽しい時間だ。
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わらび座で講演

満員の中、劇場初日のセロ弾きのゴーシュを観劇。若手の役者さんたちが舞台を跳ねまわるエネルギッシュな舞台に目を見張る。還暦を迎えたという男優さんも、年齢を感じさせない切れの良い動き。三人で配役をすべて演じ切る舞台空間は、最後まで小気味良く進んだ。役者さんたちの誠実さ、情熱が伝わる、いい作品だった。
たしかゴーシュはフランス語で不器用なという意味だったはずだ、などと考えているうちに私の記念講演の番に。
まだ終わったばかりの舞台の熱気が冷めやらぬ中、暗いステージ袖で出番を待つ。舞台照明の眩しさにくらみながら講演が始まった…。
私がお話したのは、森風で子どもたちと過ごした夜の森のクリスマスと正月明けの田老の子どもたちのこと。そこで起きたことやこれまで誰にも話せないままにいた3.11の夜に見た夢のこと。グスコーブドリの伝記は、実は希望のものがたりなのだと思うこと、など。「心の復興と賢治―子どもたちとともに―」という演題だったので、震災のことに触れた内容となった。

どうにか終了。席に戻ると知り合いの方々に声をかけていただいた。盛岡や横手や子ども劇場のみなさんと再会。秋田児童会館の館長さんご夫妻、子どもの森の仕事でお世話になったデザイナーさん。観客の方も声をかけてくれた。
取材に来た読売新聞の記者さんは、以前盛岡支局で私の原稿を載せてくれた方だった。お隣りの秋田県で、様々なご縁をいただいたことに深く感謝したい。わらび座の飯嶋さん、大和田さん、古屋さん、ありがとう。

その夜は、ゆぽぽのお風呂にゆっくり身を浸した。雪景色を見ながら体温と同じくらいのぬる湯に浸る。長い間、ぼうっと考えごとをしていた。ここは湯質も良く、私の大好きなお風呂だ。
スタッフのみなさんの対応がホテルも、劇場も、温泉も、どこにいてもみな気持ち良い。だから私はいつ来てもまた来たくなる。施設も設備も決して贅沢とは言えないのだけれど。「ひと=ソフト」がすべての根底にあるからのような気がする。地域に根を張りながら東北最大のコミュニティビジネス拠点を独力で維持してきたわらび座の底力をあらためて思う。
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福島からあなたへ

1冊の本が送られてきてきた。昨年の夏、カフェ森風で開催したアトミック・カフェ2にゲストとして来ていただいた、武藤類子さんの本だった。
昨年9月に東京で行われた「さよううなら脱原発6万人集会」で静かに鋭く演説をされた方だ。というよりも生活を奪われた福島のひとの最もすぐれたメッセージだったと思う。今もそのスピーチはユーチューブでアップされているのだが、この本「福島からあなたへ」(大月書店)では、彼女のメッセージが写真家のカットとともに再録されている。
あらためて読んでみると、涙が止まらない。慟哭に近い感情が溢れてくる。これまで自分が感情を表出することを抑制していたものが彼女の言葉に触れて、反応しているのだろう。
格調高く、アジテートはせずに、あくまで生活のリアリティに踏みとどまりながら故郷を蹂躙されたものの発する言葉は凄まじく強靭だ。
「…私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です…」
反原発でも脱原発でもいい。私はエネルギーシフトと言いたいけれど、福島から発せられた言葉を、言葉の背後にあるものを私は汲み取りたい。逃げてもはぐらかしてもいけないと思った。デモ隊とは無縁な、フツーの生き方をしてきた私でさえ、原発推進への抗議という社会的な意思表示を非暴力でしなければならない気がしてきている。
ユーモアと皮肉と祝祭(カーニバル)の気持ちで、東京だけでなく各地で開催される2月11日の「さようなら原発1000万人アクション」デモに参加しながら私もこのうねりを感じながら見届けたいと思う。新しいスタイルの意思表示をしてみたい。
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吉成信夫

Author:吉成信夫
ときどき日記です。

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