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福島から仙台へ

福島県桑折町の児童館の先生から昨年末に連絡をいただいた。福島市の少し北に位置する町だ。私が数年前、福島県内の児童厚生員研修に伺った際に参加されていた方から、どうしてもやりたいという熱意溢れるお願いをされた。震災後初の福島訪問。桑折町にはいたるところに桃の果樹園が広がっている。花見といえば桃の花なのだそうだ。それが今では放射能の除染で苦労をされている。

その日は雪模様の中、児童館、学童クラブの先生方に集まっていただき、研修をした。これまでこんな研修をしたことはなかったという感想を聞いた。どういう意味ですかと聞いてみたら、難しくなくて話が具体的だったと返ってきた。そうか、児童館や学童クラブのことを専門に研究している大学の研究者さんとかいないもんなあと納得する。講演後、児童館で毎月出しているお便りや、日誌も見せていただいた。児童館に通う子どもひとりひとりに対する目がしっかりとあって、いい取り組みをしているところだ。
朝一番の強行軍だったけれど、来てよかったと思う。大災害の中で、今も心配事の多い福島の現場で子どもたちと意欲を持って対している児童館や学童のみなさんと出会えたことに感謝したい。今度は森と風のがっこうバス視察を実現したいと笑うHさんの屈託のない表情が忘れられない。

それから雪の中を福島駅前のこむこむへ。ここは子どものために福島市が直営する大型公共施設。以前、ここの開館前にいわて子どもの森で事前研修させてほしいと頼まれ、ボランティアになる方々の研修をしたことを憶えている。私は開館後に来たことはないので、立ち寄ってみた。
がーん!これぞ正真正銘のハコモノ。旧態依然としたこの固い雰囲気は、行政がアタマでこねくり回して考えた子どもの施設だ(断定口調で申し訳ないのだが)。スタッフルームに行って研修の経緯を伝えたら、それはあっさりスル―。関係したのは昔のことでしょ、確かにそうです。今、議会中なので手が離せないのでと目の前で言われて、びっくり。
外で遊べない福島の子どもたちにとって、これだけの広さと駅前の立地は生かさなければならない時なのに。50数億かけて作ったのに。残念。開館時のスタッフはすでにいなかった。

雪の降り続く中を、仙台へ移動。
のびすく仙台訪問。ここは、乳幼児と親御さんのためのスペースとして仙台市が開いた先進的な子育て拠点として知られるところ。中に入り、ほっとする。子どもも親もスタッフさんも、みんなくつろいでいる雰囲気。こむこむとはまるで違う。NPOが指定管理者となっているからなのか、子どもにも保護者にも近い距離感で対応してくれる感じがいい。
夜、父親子育て講演会で、まただーんと長々講演させていただいた。どうも最近、話が長い。止まらない。夜には大雪となる。まるで東京のような明るいイルミネーションが空からひらひらと落ちてくる雪とあいまって、まるでクリスマスのような華やぎ。仙台は都会なんだなあ。翌日は、のびすくで絵本の読み聞かせをしたり、お父さん方とお話をしたり、ゆったりとワークショップをさせていただいた。
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3月11日が過ぎていく

雪の中、野田村の東日本大震災追悼式典に出席。花をたむけさせていただく。よそ者の私が参加させてもらうのもどうかと迷ったが、どうしてもこの日は被災地でいっしょに祈らせてもらいたくて役場の知り合いの方にも問い合わせたのだが、ぜひどうぞということだったので再訪することにした。私に何ができるわけでもない。でも、ここに居させてほしいと思った。村のみなさんの鼓動や息遣いを感じてた、過去を振り返る静寂な時間。不幸にして亡くなった方々の喪に服す1分間の黙とうは、この一年を振り返るには短くもあり長くもあった。子どもたちはほとんど会場にはいなかったが、地震発生時間に鳴らされたサイレンをどのような思いで聞いていたのだろうか。
夕方からは、ここ野田村だけでなく、お隣の市の久慈港では横島さん(よこ爺)が寒風の中で地元の方々とキャンドルに火を灯しているはずだ。

夜に急ぎ自宅に戻ってNHK Eテレの新番組「東北発☆未来塾」を観た。テーマは、夢を描くチカラ(私も20代の頃からよく使う言葉だ)。ファシリテーターは山崎亮氏。なんで見たかというと、エネルギーを軸に10年後の東北を描こうという東北の大学生5人が先月、森風に来たからである。
この日、私は雨あられと言葉を紙つぶてのように若者たちに投げつけた記憶がある。初対面でそんなことは普通やらないのだけれど、彼らの何か探している感じが私の琴線にふれたのかもしれない。なぜ森風を創ったのか。どうやって10年を過ごしてきたのか。ジェットコースターのような上り下り紆余曲折ある歩みをしゃべりまくった。
ここに来たのは彼らのアイデアを現場でさらにブラッシュアップするためだったことが番組を見ていてよくわかった。カフェも遊び場も、ここではもう実現してにぎわいを見せている。彼らの考えたアイデアとコラボしているのが分かってうれしい。番組自体は私や森風の映っている時間は短いものだけれど、彼らと交わせた時間は私にはけっこう楽しいものだったからだ。
山崎亮氏は来なかったが、私が森風を英国のCATをモデルにして東北版を創ろうと10年前に思って始めたことや、宮澤賢治さんを糧にしてがっこうを構想したことを彼らに冒頭話したら、それって山崎さんが言っていたところと同じですよね!そうだ同じだ!とみな驚いていた。
番組自体もなかなか面白かった。ワークショップをやって来たひとならみなそうなのだけれど、学生たちのプロセス志向、ライブ感がみなぎっていてみずみずしかった。
いつか、山崎さんと未来塾の学生たちとゆっくりここで話したいなあ。

3月11日が過ぎていく。先の見えない闇夜の中を、ヘッドライトを照らしながら疾走していく車を運転している感じは昨年と何も変わらないままだ。目の前のライトに光る景色だけを頼りに進むしかない。

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あしながおじさん

春が近づいて来た。でも昨日は、吹雪模様の中、お葬式があって集落の方々と一日ずっといっしょだった。こういう時間を共有していると、ここに生きているんだなあと実感する。私が移住するずっと前から続いている暮らしがあることを。
がっこうが廃校になる前の昭和30年代後半、まだ電気も来ていない時代に。テレビを寄贈してくれた方がいてそこから水力発電をPTAや先生たちの力で電気を自力でひっぱって、学校でついにテレビを観た思い出(つまり初めて電気がついて、集落の全員でテレビを観たのは学校だった!)を当時小学生だったお母さんが語ってくれた。
ここまでは以前にも聞いていた話だったのだが、昨日はそのあとがあった。

当時、ブラスバンドなんて町内のどこにもなかった時代に、楽器一式を寄贈してくれた方がいたそうだ。テレビの贈り主といっしょの方だが、名前は匿名。子どもたちは、いつしかその方のことを「あしながおじさん」と呼んでいたそうだ。そして東京への修学旅行。神奈川県にある郵便局の消印を頼りに探し出し、ついにあしながおじさんと対面できたのだそうだ。
その後、ブラスバンドの指導に東京から専門家に来てもらったり、そんなことまでもあしながおじさんは手配してくれたのだという。子どもたちも、農繁期に学校には行けなくても楽器の練習だけは家事の合間に山の中でやったんだよと教えてくれた。そして町内パレードの晴れ舞台にみんなで上がった感動は忘れられない。町内といってもはずれの山の奥深くの小さな分校の子どもたちが成し遂げた誇りは、今もお母さんの胸に息づいているのだ。

集落でずっとご一緒に暮らしてきた方が亡くなった悲しみの中で、聞いていてなんだか私も気持ちがふっと明るくなるお話だった。
寒さに震えながら、上外川(かみそでがわ)の集落に住む私たちは春を待っている。心待ちにしている。
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演劇には何ができるのか

盛岡で行われた「震災後の演劇の役割」のシンポに参加。観客のひとりとして東京のプロ演出家、岩手のプロデューサー、劇作家による討議を聞いた。
演出家流山児祥さんの発言が私には最も的確と思えた。
「この地震津波と原発事故の二重被害によって起きていることは、今も戦争中だってことだろ。ゼロって楽しいじゃんって思うしかないよな。何でもありなんだから。これまでの世界をいったん断ち切らなければ。その上でどうするか。自分が世界とどうつながりたいのかを考えなければ…」(断片的記憶なのだが、私が受け取ったのはこんな感じだ)。被災地にテントを張って演劇祭をやりたい、とも言っていた。
廃墟となった被災地の文化センターで、ひとりでもその場で劇にするぜといった腹をくくれないんだったら、演劇やってるとは言えないという彼の気迫にはまったく賛同する。所詮、役者なんて河原乞食だもんなあ、かっこいいぞおーと舞台におひねりを投げたくなる。


「自己治癒としての演劇」という言葉を、私は1970年代に故竹内敏晴さん(演出家)から教えられた。私は今も昔も演劇人ではないけれど、長い間、この言葉は自分の中に焼きついている。
演劇がひとの魂の奥深くに語りかけるものでなく、社会運動でもないのだとすれば、あとはもう経済のための駒でしかなくなってしまう。

討議の中で、被災地の子どもたちの心やからだが、どれほど抑圧され、押し込められているか。そして演劇はそれにどう向き合えるのかについて、パネリストの誰からも話が出てこなかったのが残念、というか無念。子どもたちの抑圧をほどき、心の中に沈んでいる感情や思いを掬い取るには、演劇的な方法はとても大事だと思う。
公演もいいけれど、ワークショップのような形で東京のプロの演出家には継続的に被災地で子どもたちに関わってもらいたい。子どもたちの今居る状況もひっくるめて、ユーモアと批評と道化でかきまわしてもらいたい。それほどみんな息苦しく硬直していると思うのだ。

私はここからすべての話が始められると思って今日ここにやって来たのだが…。
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カラコマ!盛岡の休日

久しぶりの休日。共同通信社の地・宝・人ネットに毎月提出した後の解放感もちょっぴり。「震災後の地域社会が忘れてならないこと」というお題に私も含めて全国のメンバーが意見を寄せるのだが、今回はあまりに気持ちが重く、唸ってしまった。
盛岡の中心街は雪がほとんどなくてびっくり。モスビルを出たところで、吉成さんと声をかけられて振り向いたら、広場の屋台のようなワゴン車の中から微笑む男性の顔が…。
釜石出身のマクロビの料理家、ミウラキヨタカさんだった。
何年振りだろうか。彼が店長を務めていた表参道のマクロビのお店にはときどき行ってたし、森風でマクロビ教室をやってもらったこともあったっけ。もう6、7年前のことだ。
本当は、子どもの森のレストランも彼のマクロビでやろうかと考えたこともある。
彼のかわいいワゴン車ごしに近況を語りあいながら、「べジバーガー」と「スープ」をいただいた。畑のお肉と野菜をあむっとほおばると、自家製マヨが相まって旨い。バンズが天然酵母なのにもさもさせず軽めの食感がよい。
いただいた名刺には、カラコマ工房とある。何で?とさらに聞いたら、瓢箪からコマ!から付けたのだそうだ。言ってみる。できるかどうかわからなくても。そこから言霊が広がっていく。そうか、森風と同じだねと笑いあった。毎週水曜日だけ、ここで出店しているとのこと。ぜひ行って食べてみてほしい。
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ただ今番組制作中

スプリングスクールも3日目。今日は朝からずっと葛巻町に出て訪問インタビューをグループに分かれて実施した。マイクロバスからひとグループづつ、落下傘部隊の降下!という感じでバスを降りて目的地へ。今回は小中学生21名とスタッフ13名。街頭で歩いてきたひとを捕まえてのインタビューも。
取材を終えた子どもたちの興奮で帰りのバスはすごい熱気を帯びてきた。頓珍漢な質問にもつきあっていただいた町役場、お店、森林組合、工場長さんなど、みなさんありがとう。

まだ、一ひねりも二ひねりもするだろうが、子どもたちが街中の空気感やひとの間を流れるここらしさを感じ取ったところからスタートできたことだけは間違いない(学校のお勉強のような型通りのものにはならないはず)。今生きていることの本気がそれぞれの子どもの内から溢れ出してくるかどうか。これからが勝負どこだ。今夜は、それぞれに番組の構成とタイムテーブルを巡ってぐいぐいとアイデア出しが始まっている。

私も子どもの森時代に子どもラジオをたくさん作り続けて来たけれど、本当に久しぶり。でも、今回はまったく意を異にする、森風ならではの番組が生まれるかもしれない。
今この山奥で始められているのは、子どもたちが、自分たちの言葉で、自分たちが感じたままに、自由にのびやかに創り出すラジオなのだ。
森風子ども自由ラジオ放送。この名前は、第二次大戦下のフランスでレジスタンスとともに始められた自由ラジオから取った。明日はラジオ放送局のブースと機材を校舎内に設営する。もちろん、オンエアの明かりが点くランプも。ごっこ遊びであってごっこ遊びを超えたものになることをひそかに期待したい。

清志郎のトランジスタラジオのフレーズが私の中でかすかに鳴っている。
「授業をさぼって 陽の当たる場所にいたんだよ 寝転んでたのさ屋上で…」
こんな自由な雰囲気を子どもたちと味わえたらいいなあと思う。


→子ども自由ラジオ本番

→森風子ども自由ラジオはこちら
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子ども自由ラジオ本番

今日はスクール最終日。5日間のラジオ番組の本番の日。21名の子どもたちは、ゴールを目指さして全速力で最後まで駆け抜けた。
残念ながら、忌野清志郎の歌うサマータイムブルースは放送できなかったが、歌詞はとっくに全部覚えているんだぜ、と口づさみながらこの日のために設営されたラジオブースのDJ席に座り、身振り手振りでリズムをとる小学生多数あり。
森風CMのあまりの完璧さにほおうと思わずうなづかされてみたり(あまりにここの特徴を的確に取り入れており)、がっこうの愛犬のことやお隣で飼育している牛の取材やら、あまりに身近な生活を題材にしたコーナーがあって微笑ましい。と思えば、まるで夕方のニュースキャスターみたいに冷静に3.11の日の葛巻町の様子をレポートする子がいたり。生活から自分の今、これからに思いを広げる感じが自然体でいい。
圧巻だったのは、小学6年生と中学3年生の男女によるSFラジオドラマだ。あっという間に書き上げた台本、切れ味鋭い効果音、セリフの臨場感、どれもたたみかけるような迫力に思わず息を呑んだ。今どきの子どもたちはプロの声優みたい。どこでこんな構成力を身に着けたんだろう?
 まるで夜のニュース番組のキャスターみたいにゲストで出演させられた私に質問を浴びせかける子どもたちも中学3年生と小学6年生。アドリブで森と風のがっこうの誕生の経緯を話す私に、次々とやはり台本なしでたたみかけてくる。うーん、なかなかやるなあ。だんだん彼らが私には本当のキャスターのように見えてくるから不思議だ。コーナーの終わりに、ではまたこのチャンネルでお会いしましょうと流暢に話す女の子はまだ小学生。来週もこの子のニュース聞こう!と思わず錯覚させられる私だった。
よくアドリブで返したねと収録後に言ったら、余裕で、私との台本のないやり取りが楽しかったという。恐るべし。

 番組を終えた今もまだ、彼らの集中と熱狂の余韻が私のからだにも残っている。本番が終わった瞬間、飛び上がる子や、握手する子がいたり、まるで卒業式の後のようだった。それほど過酷に自分をぎりぎりのところまで追いつめ、考え込み、限られた時間にあせり、もてる限りの力を振り絞ったことの証しがこの大騒ぎだったということなのかもしれない。
なかには前日深夜近くまでグループ全員どんより落ち込み、台本すら書き上げていないところもあった。天国と地獄を経験したこのグループは、本番当日の今朝、不死鳥のように甦り、舞い上がった。その様を見ていると、子どもたちの力を100%信じたいと思わずにはいられない。
 子どもの森で5年間作り続けた子どもによる、子どものためのラジオ番組とはまた違う魅力ある子ども自由ラジオ局の誕生だ。この場に立ち会えたことを感謝したいと思う。子どもたちとともに、子どもたちが今この時に全身で感じていること、社会のこと、おとなのこと、原発事故のこと、地震のこと、生きること、生き続けて行くこと、未来を夢見ること…。私は、東北各地をゆるやかに結びあい、まだ見ぬたくさんの子どもたちと交信できる日を夢見ている。今日はそれを確信した日だった。


ラジオ番組製作中の様子

→森風子ども自由ラジオはこちら
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Author:吉成信夫
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