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小田原で考えたこと その2

はじめ塾の宿泊所は、うねうねと車がすれ違えない細い山道を上がった山の上にある。
古い民家に入ると、ちょうど夕げの支度に子どもたちもおとなもいっしょに勤しんでいるところだった。土間のたたきが広がる大きな空間に釜戸が3つ。つば釜からしゅうしゅうと湯気が立ち上る。もちろん薪の煙で燻されている。ボイラーの排気口を取り巻くまるでアート作品のような巨大な土のオブジェがひときわ存在感を放ってる。左官屋さんたちが心血を注いだものなのだろう。みんなで育てたものをみんなで料理する。ここはすべての活動の心臓部なのだということが一瞬のうちに了解され、圧倒する。

食べること、生活することをすべての核にして、読み書きそろばんをする塾と聞いていたが、その根っこに野口整体の考え方があることを感じた。
三歩目には走り出すからだを日々の生活の中で創りだす場。お掃除も皿洗いも、分担ではなく、それぞれに自分が探しだして動くのだ。
心とからだの集中と解放を頭でコントロールしようとするのではなくて、からだで感じて動き出すことを大事にする。からだ育ての場という言葉が私の中に浮かんだ。

夜の和田重宏さん(前塾長)のお話しを聞くセッションの中で、ゲストとして私に話を向けていただいた。中高生の若者たちの顔を見ているうちに、本当は森と風のがっこうのことを紹介する場面だったのだが咄嗟に私の口をついて出てきたのはそれ以前のこと。中学の弁論大会で中間・期末テスト廃止を叫んだところから、学校遍歴、しごとを探して転職を繰り返した七転八倒の自分史を話すことに変えていた。
みずみずしい彼らの顔を見ていたらそんな言葉が溢れてきたのだ。どうせ嘘は見抜かれてしまう。ならばまっすぐに話したい。明日は、じゃあ森と風のがっこうを開校するところから話すからね、今日はこのあたりでと話を結ばせてもらった。どう感じたのか、ひとりひとりにじっくり聞けなかったことが少し今も心残りだ。でもいいか。また会える気もするから。

はじめ塾、そしてスタッフの方々が研修に来ていた金沢のフリースクール、そして森と風のがっこう。どこも野口整体がその共通項にあることがわかって私はうれしかった。
からだ育てを、子どもたちの成育のすべての基礎にすることは大切なことだとあらためて思う。

和田さんとお話しをしていて一番心に残ったのは、ひとりとつながるところからしか何も生み出せないというところだ。一網打尽とか、拡大させてやろうとか、規模や目的に合わせた合理性ではなく、常に目の前のひとりとつながる確かさから物事を始めようとする価値観のようなものがここには流れているのかもしれない。私も10年前に森風を始めた頃、そう考えていた。多数はどうでもいいと思っていた。世界はひとりから変えるものであってほしいという私の願望も含まれているのだけれど。原点はここにあるとあらためて思わされた。
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