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演劇には何ができるのか

盛岡で行われた「震災後の演劇の役割」のシンポに参加。観客のひとりとして東京のプロ演出家、岩手のプロデューサー、劇作家による討議を聞いた。
演出家流山児祥さんの発言が私には最も的確と思えた。
「この地震津波と原発事故の二重被害によって起きていることは、今も戦争中だってことだろ。ゼロって楽しいじゃんって思うしかないよな。何でもありなんだから。これまでの世界をいったん断ち切らなければ。その上でどうするか。自分が世界とどうつながりたいのかを考えなければ…」(断片的記憶なのだが、私が受け取ったのはこんな感じだ)。被災地にテントを張って演劇祭をやりたい、とも言っていた。
廃墟となった被災地の文化センターで、ひとりでもその場で劇にするぜといった腹をくくれないんだったら、演劇やってるとは言えないという彼の気迫にはまったく賛同する。所詮、役者なんて河原乞食だもんなあ、かっこいいぞおーと舞台におひねりを投げたくなる。


「自己治癒としての演劇」という言葉を、私は1970年代に故竹内敏晴さん(演出家)から教えられた。私は今も昔も演劇人ではないけれど、長い間、この言葉は自分の中に焼きついている。
演劇がひとの魂の奥深くに語りかけるものでなく、社会運動でもないのだとすれば、あとはもう経済のための駒でしかなくなってしまう。

討議の中で、被災地の子どもたちの心やからだが、どれほど抑圧され、押し込められているか。そして演劇はそれにどう向き合えるのかについて、パネリストの誰からも話が出てこなかったのが残念、というか無念。子どもたちの抑圧をほどき、心の中に沈んでいる感情や思いを掬い取るには、演劇的な方法はとても大事だと思う。
公演もいいけれど、ワークショップのような形で東京のプロの演出家には継続的に被災地で子どもたちに関わってもらいたい。子どもたちの今居る状況もひっくるめて、ユーモアと批評と道化でかきまわしてもらいたい。それほどみんな息苦しく硬直していると思うのだ。

私はここからすべての話が始められると思って今日ここにやって来たのだが…。
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