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地下水

先日の日曜日、仙台すまいと暮らしの設計塾で講演。
親子参加OK、子どもは預かり保育なので子どもたちもけっこういた。児童館の全国大会で以前お世話になった長町児童館の先生方、岩手町出身のお母さんが来てくれていて、終了後声をかけてくれた。心の中に小さな火が灯ったようで私には暖かいひととの出会いが一番確かで嬉しい。
エコキャビン建設時に、ドイツのリボス社の植物性塗料(子どもがなめても大丈夫。柑橘系の香り)を寄付していただいた、イケダコーポレーションの中島さんとまさかの再会。その後の森風の様子も伝えることができた。

講演後、主催者の建築工房零の小野社長と対談。私にはこれがなかなか楽しかった。豊かさとは何なのか。話はここを中心にゆっくりと旋回しながら降りて行く。
なぜ零という名前を会社に付けたのかを伺ったところ、明快に、余計なものを削ぎ落した骨のところで建築を提供したいと思ったからという言葉が即答で返って来た。なるほど。小野さんの自然体で率直な物言いに感応して私も、立って半畳寝て一畳を信条に、何も持たずに暮らしたいなどと思いをうちあけてしまった。
私は二つの言葉をキーワードに会場のみなさんと応答させていただいた。ひとつは、「降りてゆく生き方」(同名の映画があるがそれとは関係ない)について。最近私のことをそう評するひとが居るけれど、それは誤解なんだよなあというエピソードも交えて。それと、16年前、ここ東北には心の地下水脈が深く流れているという予感から岩手移住を決めたことも。特に3.11後、地下水脈で東北の人々がつながっていくというイメージが強くなった。
心の地下水を掘り当てよう。地下水はどこにでもつながるから。この言葉は小学6年生の時に見たNHK中学生群像というドラマの中で先生が黒板に書いた言葉だ。あれから40年の時を経て、今蘇って来たのは本当に不思議だ。
地下水脈は何百年、いや千年もの間、人々の生活の中で積もり重なった集合的無意識のことなのだろうか。
賢治も、その流れを心の底深くに感じていた気がする。
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