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石と賢治のミュージアムで講演

森風の周囲はまだ残雪が残っていて肌寒いのに、同じ岩手県でも東山は桜が満開で上着がいらない。地震の影響は屋根瓦が割れたり、壁にひびが入ったり、葛巻とは違ってやはりあった。途中水沢では北上川にかかる橋が通行止めだった。
私が岩手に移住して取り組んだ最初の仕事をした、石と賢治のミュージアムを訪問した。ボランティアガイドを開館以来ずっと続けているブドリとネリの会(旧東山町は当時グスコーブドリのまちを宣言していた)のみなさんが私を招いてくれたのだ。
ミュージアムの中に足を踏み入れた瞬間、歳月をワープして研究員当時の感覚に戻ってしまった。ここの壁は紫雲石を散りばめたなあとか、太陽のホールは子どもや親子の遊び場として造ったんだとか。心の中に封印していた記憶が蘇ってきた。
吉成信夫講演会圧縮 009_1

講演は、なぜ、この石と賢治のミュージアムを構想したのかに絞ってお話した。賢治さんが今生きていたら何をやったのか、私の胸の内にはそういう問いがずっとあったこと。自然エネルギー利用や農薬を使わない畑や、バザーやアートのある暮らしや、そんな「ほんとうのしあわせ」を求める生き方を追い求めたのではないか。だから、このミュージアムは、次の世代の子どもたちと環境をテーマに考えたのだということをお話しした。
子どもも親御さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、あらゆる世代のるつぼとなる、未来をひらく行動的なミュージアム。それは、子どもの森にも、森と風のがっこうにも、根底でつながっているのだ。
思い出せば、子どもたちと毎月よく遊びのワークショップをやった。紙芝居を読んだり、線路の下の用水路を探検したり少々あぶないこともやったものだ。

12年前、ミュージアム開館時から誰も引き受けてがなくて暗礁に乗り上げていた食堂にいのちを吹き込み、あれからずっと地場のひぼがはっとや郷土食を提供してくれた「ひまわり食堂」のお母さんたちがこの3月で引退されたという。本当に長い間ごくろうさま。私は今もお母さんたちにお願いした時のことを昨日のように憶えている。まだ青二才だった私の構想を意気に感じてくれて、ならやるよ!とどうせだめという役場内の風圧をはね飛ばしてずっと愛された食堂をやっていただいたことに深く感謝したい。
今も勉強会を重ねながらミュージアムを支えてくれているボランティアの方々も、館長さんや職員の方々にもお礼を言いたい。私が始めたグスコーブドリの大学校も、回を重ねて11年、毎年開催しているという。すごいなあ。私はほんのきっかけを作っただけだが、継続する力のすごさはひとの気持ちの総和なのだとあらためて思わされる旅だった。宮澤賢治さんが心の中に息づく東山は今も変わらず、私の心のホームグラウンドなのだと思う。
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