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森から始める、森から始まる

なぜ今、森なのか。
10日間のサマースクールを子どもたちと過ごしながらそんなことを考える日々を送っている。岩手の暑さもすっかり戻って、残り少ない逝く夏を惜しみながら太陽の恵みを慈しんでいる。先ほど子どもたちが設置した太陽光パネルは、せっせと電気を作り続けてくれている。

昨日、この集落の山神様のある森へ子どもたちと挨拶に行ってきた。10日間、どうぞよろしくお願いします、と手をあわせた。では、次へ行こうと動き始めた子どもやスタッフに、私だけが取り残された。
なんで?、だってまだ土の上に腰もおろしてないよ。立ったままじゃん。立っていても周囲の木立は見えないし…。もう動いちゃうの?
ひとりで座っていた私と列の最後のスタッフの学生の目があった。何かまだ動けないんだよと呟く私と同様、彼も思いを残したままだったらしい。じゃあ、みんなに戻ってきてもらってやり直そう。彼はすぐに呼びに走ってくれた。
全員でご神木のまわりに今度は座ってみた。座っただけでどこか感じが違う。この木のような大木が昔は沢山ここらにもあったこと。百年以上、この木は生きていること。山神様を地区の人が今でも大切にしていること。どれも上外川地区一の古老である重三郎さんに聞いた話なのだが。
それから少しの間、みんな目をつぶったまま、周囲の音や風や匂いを黙って感じてもらった。水のせせらぎや、鳥のさえずりや、葉の擦れる音が、聞こえてきた。耳を澄ませてみて、やっと静かな落ち着きが出てきた。

いつもそうだが、気持ちを整えるというかどこか厳粛な心持ちなしに森に入ってはいけないような気がする。といって抹香臭いことは言いたくないからいつもバランスには気を遣っている。ユーモアも欠かせない。
今年の本格コースは、「森」がひとつのテーマだ。自然エネルギーのある暮らし方の背景に、水や生命の源である森の存在がある。
私たちの祖先が森をおずおずと少しだけ切り開かせてもらい、恵みを分けていただいているという自然観を忘れてしまったところから、私たちニッポン人は横暴に、利己的に、便利な文明を享受するようになった(私もそのひとりだ)。その延長線上に今回の原発事故がある気がしてならない。
今年は森の中で、宮澤賢治作「狼森と笊森、盗森」をやろうかと思っている。子どもたちにはまだ話していないが、ちょっとはまりすぎかもしれない。
でもこんな時だからこそ、100年先、200年先にイメージを振り飛ばしてみたい。明日からは森に入って行く。子どもも私も何が見つかるのだろう。

自然エネルギー担当で講師になってもらっている武内さんと打ち合わせて、彼にはオーストリアの森林産業とエネルギー利用、そして森のある生活について映像を交えて話してもらった。
森と都市部の生活が、資源循環を通してつながっていること、共存していることに、驚かされた。森で木を伐採している人のよこにクロスカントリーのコースがあって、木製のベンチまである。こんな市民に見える職場でグリーンな仕事をしているというのは誇り高いだろうなあ。
都市部を木材チップを運ぶ車が行き交っていてバイオマスエネルギーの地産地消も実現しているところも当たり前にすごい。

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